Aiko's blog

今日も素敵なすてきな1日を*

■ 私たちは自由である ■

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私たちは、どんな言葉を使ってもいい。
私たちは、どんな価値観を持ってもいい。 

 

人に積極的に迷惑をかけたり傷つけてもいいという意味ではない。  

 

誰かに遠慮して、
自分の自然な想いや願望を殺す必要はないということ。

 

影響力の強い人が何と言っていても、
どんなに力強く主張していようとも、

私たちはそれに従う必要がないということ。

 

どーでもいいということ。

 

従うことで窮屈な思いをするなら、
そんなもの、ガン無視したらいい。

 

自分の自然な想いを大切にしよう。
自分の自然な想いを、まず自分が聞き入れてあげよう。

 

何度も注意書きをしますが、
これは人に迷惑をかけていいとか傷つけていいという意味ではない。

 

人からいただいた善意のアドバイスや助言を無視することを勧めているわけでもない。   

 

他人の発言に振り回されて、
自分の想いを見失ったり、
窮屈や苦しさを感じることが多い人は、

一度親離れしようということ。

 

親というのは、文字通り自分の親でもあり、
自分にとって影響力が大きい人のこと。 
世の中や社会にとって影響力が強い人のこと。

 

昔、「親」にどっぷり依存して苦しんでいた私より。


卒業したおかげで、今はとっても楽で解放されています。

 

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■ 女性性 ■

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私は、いつもいろんなことを、
偏って受け取ってばかりみたい。

 

いろんなことを、自分の不足や無価値感にばかりつなげて解釈してしまう。

 

相手や他人は別に私のことを言ったわけではなくても、
私はいつも自分の「無い」ところとつなげて考えてしまう。

 

いつも、人と比べてばかり。

上を見たり下を見たり。

 

ふっくらしていて女性らしい体型の人を見ると、
いつも羨ましいと思う。

私もあんな体型に生まれたかったなぁって。

 

そしたら、

もっと好きな人にも好かれるし、
人にも認めてもらえるし、
女性らしい魅力をもてるし、
女性らしいお洋服も似合うし、
水着だって着られるし、
自分のこととっても好きになれるだろうなぁって。

 

でも、残念だけどなれないんだよ。

私は、食べても食べても太れない体質。

 

胸がないのはもちろん、
あばら骨や骨盤の骨も浮いている。
手足はガリッガリ。

 

子供のときから今に至るまで、
「やせ過ぎ」
「ごはん食べてる?」
ってずっとずっとずっと、言われてきた。

 

そのたびに、私は自己否定と自己嫌悪を積み重ねていた。

鏡を見ても、自分の体が気持ち悪くなる。

 

私の身体、男じゃんって。
気持ち悪いって。

 

女性として生まれたのに、
女性らしく生まれたかったのに、
女性らしい魅力が欲しかったのに、
それが決定的にない。

 

顔や身体って、自分の性的自己肯定感を、
著しく左右する。

 

私は、顔も身体も、とても男っぽい。

全身骨ばっていてガリガリでゴツゴツしていて肉がない。

 

女の人は、軽々しく
「痩せてていいね」
なんて適当なことを言うけれど、

 

じゃぁ本気で私になってみてよ、
それで自己否定感自己嫌悪感を、
じゃぁ味わってみてよって思ってしまう。

 

ひねくれているね。

それくらい、自分が嫌なんだ。

外見も性格も。

 

なんで女性として生まれてしまったんだって。
なんで生まれてしまったんだって。
男に生まれたかったって。
というか生まれてきたくなかったって。

 

私の死んだお母さんは精神病だったし、
お母さんのお兄さんも精神病で入院したまま。
お父さんも超卑屈でネガティヴな人。

 

親のせいにしても仕方ないのは頭では分かっていても、
つい心は親のせいにしたくなる。

 

もっとまともな正常な両親が生んでくれたら、
まともで正常な人間に生まれたのにって。

 

病的な人間、自己愛もない人間が、
子供なんか生むんじゃねぇよって、
私を生むなよって思ってしまう。

 

人のせいにしても、仕方ないけれど。
仕方ないのに、恨んでばかり。

 

彼に対する気持ちは、
父親に対する気持ちに通じている。

 

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■ 漂う自分 ■

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前向きで明るいように見える私には、
人が集まって応援してくれる。 

 

そうじゃない私には、
誰も近寄らないし近寄りたくない。
人は離れる。

(近寄るとしたら、強い優しさを持っている人か、弱い優しさを持っている人のどちらか。) 

 

そりゃぁ誰も暗い人には近寄りたくないのは当たり前。

当たり前なんだけど、
私にとってそれは、とてもプレッシャーで疲れる。 

 

頑張っている私。前向きで明るく進んでいる私。

何もしていない私。ただひたすら漂っている私。 

 

頑張って前向きな私には、誰かが好意的に思ってくれるけれど、
そうじゃない私には、価値が無いみたいな。

 

「価値がない」という言葉にはしていないけれど、
例えばFacebookの投稿一つにしたってそうだなって感じる。

前向きで明るいものには、コメントやいいね!が沢山つく。 


そうじゃないものには、反応がない。

それは、これは、当たり前のこと。
当たり前。

 

なのだけど、
なんか、疲れるなーって。
プレッシャーだなーって。

 

結局、他人の反応や評価を気にしている限り、
私は「前向きで明るくて頑張っていて成長している私」を『演じよう』としてしまう。 

 

無気力でネガティブな私を隠して、
作り笑顔をし続けているようなもの。 

 

とはいえ、もちろん
前向きで明るい私が、いつも演技なワケではない。

 

それを継続させようとか、
他人の評価を気にするようになると、
だんだん演技になっていくということ。

それが辛くなっていくということ。 

 

「良い状態」(と他人が決める状態)
でいれば他人は賞賛するけど、

 

「悪い状態」(と他人が決める状態)
でいれば他人は批判する。

 

批判されないよう、嫌われないよう、
良い評価をしてもらえるよう、

前向きで明るくて笑顔で頑張って良い状態をキープしている私が演じようとする。

 

(※何度も言うが、前向きで明るい私がいつも、
演技という意味ではない。
自然体でそうなっているときも、沢山ある。)  

 

・・・・・

 

私は今まで余計なものにエネルギーを使い過ぎたように思う。
今もそうだけど。 

 

うつ状態はもう6年くらい続いている。

エネルギーが枯渇していると感じることが多い。

 

お仕事の日もそうだし、
休みの日は特に無気力の塊。

 

何もしたくなくて、ただひたすらベッドに横たわって寝ている。
休みの日はずっと寝たきり。 

 

外に出るとか人に会うなんて、
自分からしようだなんて思わない。

 

ものすごく、エネルギーを浪費してしまうから。

使わなくていいところにばかり、気を使ってしまう。

 

運動や食事はもちろん大切だろうけど、
それではもうどうしようもできない領域がある。

 

・・・とこうして書いていたら、
また少し心が軽くなってきた。

 

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■ すぐそばにいる素敵なひと ■

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自分を大切にしない人から離れてよかった。
おかげで心が軽くなった。解放された。

 

つながっていたときは、毎日毎日苦しかった。
苦しいのに、離れられなかった。

 

だけど今、離れることができて、
本当に楽。自由。

よかった。

 

好きとか愛おしいとは思うけれど、
もう戻りたくはない。 

 

私はこれから、ゆっくりゆっくり、
自分の心を癒していく。

 

私はこれから、ゆっくりゆっくり、
新しい人生を歩んでいくんだ。

新しい人たちとの関係を。

 

私が心地よい、安心する、幸せだと感じられる世界で共に生きていける人たちと、
つながっていよう。

 

職場で慕っているお姉さんが、とっても素敵な人で、その人から沢山のことを学ばせてもらっている。


彼女は、生きる自己啓発本
現場で、徹底的に現実に生きて、徹底的に現実を動かしている人。

 

私は「パワーパーソン」という理念を基にした研修に参加したことがあるのだけれど、
彼女は正に「真のパワーパーソン」だ。 

 

彼女は自分から進んで起業しようとは思っていないから、たまたま私と同じ職場で一緒に働いている。

 

だけど、もし起業しても必ず大成功しているような器と実力とエネルギーと愛を持っている人。

 

起業こそしていないけれど、もうすでに、
純然たる成功者。

成功者という俗な言い方を、あえて分かりやすくするとしたらね。

 

なんでこんなところに…という言い方は職場に失礼だけれど(笑)、
普通に働いている人の中にも、こんなにすごい人がいるんだなぁと驚く。 

 

あり方、考え方、生き方、
そこが何よりしっかりしているからこそなんだなぁって。 

 

愛と人間力にあふれているひと。

 

出逢う人全てといってもいいくらい、
多くの人を愛しているし、
多くの人に愛されている人。

 

彼女だけでなく、今の職場で一緒に働かせていただいている人たちはみんな、
それぞれ素敵なところがあって、
それぞれみんな愛があって心優しい。

 

私はまだしばらくここで、
修行させていただきます。 

 

自分の課題がたくさんある。
どれも全部、やはり根本的なところから生まれる課題。

 

自己愛と他者愛にあふれた人たちの背中を見て、
どうにかほんの少しずつでも乗り越えていけたらいいなぁ。

 

自分の頑固さ、凝り固まったものに日々直面している。
他人や自分への信頼感がないんだってことにも気づかされる。 

 

「心を開いていない。人を信じていない。」
と指摘していただいた。  

 

あー、私はまだそうだったんだなぁって。
自分では、よく分からないことも多い。

 

心を開く、他人を信じる…。

 

私には、まだまだ沢山の恐れがあるみたいだ。

だけど、みんなあたたかい人たちばかり。 

 

ゆっくり少しずつでも、
乗り越えていけたらいいなぁ。

 

うわーん!!笑

 

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■ 美味しい自己肯定感 ■

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自己否定が強い人間が、
無理やり過剰な自己肯定やポジティブ思考を取り入れると、拒絶反応が起こる。 

 

それは、嫌いな食べ物を無理やり「美味しい」と言って口に入れるようなもの。

 

私はレーズンが苦手な食べ物で、無理やり食べると身体が拒絶して思わず吐いてしまいそうになることもある。

 

苦手なものを無理やり「美味しい」「好きだ」と言いながら、口に詰め込むんだけど、
身体は拒否して嘔吐しているような状態。

 

自己否定感が強い人間が、
無理やりな自分に合わない自己肯定やポジティブ思考を取り入れようとするときに起こるのが、
それと同じような状態。

 

「食べることができる!できる!」と言いながら、
思いっきり口から吐いている。

 

「・・・いや、それでも、食べることができるんだ。だから、、、」と言いながら、頑張ってまた食べようとして、また吐いたり。

 

美味しい食べ物なハズなのに。。
なんで私は受け付けないんだろう。。

 

みんなが美味しいと喜んで食べているそれ、
私も美味しく食べられるようになりたい。 

私も食べたい。美味しいと思いたい。

 

と思うけれど、うまく食べられない現実。
気持ちとは裏腹に、身体が拒否してしまう現実。

 

だけど、今のわたしは、
過去の昔のわたしより、
遥かに美味しく食べられるようになっている。

 

愛のあるあたたかい人たちのおかげでしかない。

 

無理やり前を向こうとか、無理やり前に進もうとはしなくていい。

 

私は、私のペースで、まず何より、
私の気持ちを大切に丁寧に、聞いてあげる。
受け入れてあげる。認めてあげる。

 

どんな自分も、大切に丁寧に、受け入れてあげる。愛してあげる。

 

それでいて、
聞いてあげられなくてもいい。
受け入れられなくてもいい。
愛せなくてもいい。

どんな自分でも大丈夫。

 

私にとっては、本当にそこが1番大きな力になるんだ。

 

自己肯定は、必要な人には必要。

私の中にはいつも、
誰かに否定される批判されるという恐れがある。 

 

どーせ、この投稿だって、こういう想いだって、
「自己肯定なんかするヤツは〜」
「くだらない。そんなんだから成長しない。」
だなんて、誰かに否定批判されるんだろーなって。

 

あ、はいはい、すみません。
「誰もお前の投稿や意見なんて、見てもないし、聞いてもないし、興味もねぇよ。自意識過剰なんだよ。被害妄想激しいんだよ。」
ですね。はい。

 

あ、はいはい、すみません。
「お前は自己否定が美味しいんだろ。だから、ずっとそうやってんだよ。好きでそうやってんだよ。」

・・・って具合にね。

 

私の心の中にいる批判者に伝えよう。

 

あなたにそんなこと言われても、
私は良い状態にならないし、成長もしないって。

 

ぺろり。

全ての想いを全ての気持ちを、ぺろり。

 

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■ 大切だから離れたい ■

 

自分にとってそれが、大切な場所であるほど、自分がそこに大切な存在として存在することを、許せなくなる。怖くなる。プレッシャーになる。不安になる。苦しくなる。

 

自分じゃない他の誰か優秀で素晴らしく思える人が存在してくれたら、安心する。楽。 


それと同時に、そんな人が羨ましくも思う。
それは、自分もそうなりたいと願っているから。


そのくせ、自分で諦めて閉ざしている。
そのくせ、諦めきれないし閉ざしきれもしないという。

 

にゃんこやわんこのように、寄り添って穏やかに生きていたい。

 

■ 美味しいは正義 ■

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今日作って食べた、チンジャオロース風炒め物がむちゃくちゃ美味しかった。

 

同じような味付けは何度も作ってきたけれど、
今日の味の完成度は愛子さんの世界記録更新だ!!笑

 

仕上がり具合が今回のはバッチリだった!

大満足。

 

ただ若干、濃い味塩分過多になってしまったので、
次回はもう少し控えめにしたい。

 

おうちでは基本的に無気力だから、
自炊は面倒。

 

だけど、私は腸の消化・吸収能力がとても弱いので、
体にあまり良くないものや偏った栄養バランスのものを食べ続けていると、すぐにお腹が痛くなる。

 

あまりにお腹が痛くなるので、
痛みを避けたいがために自炊することも多い。笑

 

しかし、しばらくすると、痛みを忘れてしまう。

 

そこで余裕をかまして消化吸収がよくないものを食べ続けていると、
後になって激しく悶絶することになる。  

 

そしてまた、意識してお腹に優しくする。

 

そしてまた、私は忘れる。
そしてまた、私は余裕をかます。

 

そしてまた、私は悶絶する。

 

あゝ、人間ってなんでこんなにも過去の過ちを繰り返す愚かな生き物なんだろう。

 

(自分の問題を一般化してごまかす) 

 

・・・ ・・

 

美味しいものを食べたり飲んだりするのが、
とても幸せ。

 

もしも結婚することがあったら、

 

美味しいものを一緒に食べて
「おいしいねー*」

って言い合って、

 

天気がいいと
「いい天気だねー*」

って言い合って、

 

素敵だねー面白いねー楽しいねー*
幸せだねーあったかいねー*

 

って言い合って、 

 

あたたかく寄り添って平和に生きていく生活が幸せだなぁと思います。*

 

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