■ 外と内のバランス ■

対面でのリアルな人間関係では、
「何を考えているのか分からない」
「どんな人なのかよく分からない」
「もっと自分を出したらいいのに」
「本当にそう思ってる?」
と言われることがある。
自分でも、人前でうまく表現できないと感じることは多い。
(または、反対に、我が強すぎるほどの対面表現になることも多い。)
ずっと一人でいることが多かったから、
日常的に人と会話するとかコミュニケーションを取り合うことに慣れていないのも大きい。
その分、文章では自分の思いを思いっきり表現できる。
その分、文章なら思う存分自分を表現できると感じている。
単純な意味で、書くだけなら、
他人がいない世界だから。
誰かを気にしなくていい世界だから。
制限がない世界だから。
誰かを気にしたり何かを恐れる必要がない。
単純に、書くだけなら。
どんな自分も許される。
どんな自分の気持ちも受け入れられる。表現できる。
そんな世界が嬉しい。
解放される。
そんな世界をもって、
何が悪い?
と傲慢かもしれないけれど思う。
確かに、インターネットなど他人の目に触れる場所で公開するときは、
本当にどんな表現をしてもいいとは言えないかもしれない。
(明らかに、誰かを不快にしたり傷つけるような内容など)
しかし、昔は2ちゃんねる、今はツイッターなどで、
行き場のない苦しみを言葉にしている人は尽きない。
我が強すぎない人って、
普段から、どこでも自分を適度にしっかりと表現できているように感じる。
(我慢することが多いと感じる人にとっては、
たまに「よくそんなこと人前で表せるなぁ」と驚くほど。)
私のように我が強い人って、
どこかで我慢しすぎて、どこかでその分強すぎる我が出てきているように感じる。
(ちなみに、我慢してようがしてまいが、どちらかが優れているワケではない。)
「自分を消せ」などと仕事や公では言っている人間が、
プライベートで特定の相手には
「強すぎる我(エゴ)」
をぶつけていることも、非常に多い。
我が強く見える人も、強くないように見える人も、
「我の総量」は同じじゃないかと私は思う。
その表れ方のバランスが、
大方均等か、偏っているかの違いじゃないかなって。
オレはそんなことない、と思っているそこのあなた、
誰かに理不尽な態度をとったりしていませんか。
