Aiko's blog

今日も素敵なすてきな1日を*

■ すぐそばにいる素敵なひと ■

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自分を大切にしない人から離れてよかった。
おかげで心が軽くなった。解放された。

 

つながっていたときは、毎日毎日苦しかった。
苦しいのに、離れられなかった。

 

だけど今、離れることができて、
本当に楽。自由。

よかった。

 

好きとか愛おしいとは思うけれど、
もう戻りたくはない。 

 

私はこれから、ゆっくりゆっくり、
自分の心を癒していく。

 

私はこれから、ゆっくりゆっくり、
新しい人生を歩んでいくんだ。

新しい人たちとの関係を。

 

私が心地よい、安心する、幸せだと感じられる世界で共に生きていける人たちと、
つながっていよう。

 

職場で慕っているお姉さんが、とっても素敵な人で、その人から沢山のことを学ばせてもらっている。


彼女は、生きる自己啓発本
現場で、徹底的に現実に生きて、徹底的に現実を動かしている人。

 

私は「パワーパーソン」という理念を基にした研修に参加したことがあるのだけれど、
彼女は正に「真のパワーパーソン」だ。 

 

彼女は自分から進んで起業しようとは思っていないから、たまたま私と同じ職場で一緒に働いている。

 

だけど、もし起業しても必ず大成功しているような器と実力とエネルギーと愛を持っている人。

 

起業こそしていないけれど、もうすでに、
純然たる成功者。

成功者という俗な言い方を、あえて分かりやすくするとしたらね。

 

なんでこんなところに…という言い方は職場に失礼だけれど(笑)、
普通に働いている人の中にも、こんなにすごい人がいるんだなぁと驚く。 

 

あり方、考え方、生き方、
そこが何よりしっかりしているからこそなんだなぁって。 

 

愛と人間力にあふれているひと。

 

出逢う人全てといってもいいくらい、
多くの人を愛しているし、
多くの人に愛されている人。

 

彼女だけでなく、今の職場で一緒に働かせていただいている人たちはみんな、
それぞれ素敵なところがあって、
それぞれみんな愛があって心優しい。

 

私はまだしばらくここで、
修行させていただきます。 

 

自分の課題がたくさんある。
どれも全部、やはり根本的なところから生まれる課題。

 

自己愛と他者愛にあふれた人たちの背中を見て、
どうにかほんの少しずつでも乗り越えていけたらいいなぁ。

 

自分の頑固さ、凝り固まったものに日々直面している。
他人や自分への信頼感がないんだってことにも気づかされる。 

 

「心を開いていない。人を信じていない。」
と指摘していただいた。  

 

あー、私はまだそうだったんだなぁって。
自分では、よく分からないことも多い。

 

心を開く、他人を信じる…。

 

私には、まだまだ沢山の恐れがあるみたいだ。

だけど、みんなあたたかい人たちばかり。 

 

ゆっくり少しずつでも、
乗り越えていけたらいいなぁ。

 

うわーん!!笑

 

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■ 美味しい自己肯定感 ■

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自己否定が強い人間が、
無理やり過剰な自己肯定やポジティブ思考を取り入れると、拒絶反応が起こる。 

 

それは、嫌いな食べ物を無理やり「美味しい」と言って口に入れるようなもの。

 

私はレーズンが苦手な食べ物で、無理やり食べると身体が拒絶して思わず吐いてしまいそうになることもある。

 

苦手なものを無理やり「美味しい」「好きだ」と言いながら、口に詰め込むんだけど、
身体は拒否して嘔吐しているような状態。

 

自己否定感が強い人間が、
無理やりな自分に合わない自己肯定やポジティブ思考を取り入れようとするときに起こるのが、
それと同じような状態。

 

「食べることができる!できる!」と言いながら、
思いっきり口から吐いている。

 

「・・・いや、それでも、食べることができるんだ。だから、、、」と言いながら、頑張ってまた食べようとして、また吐いたり。

 

美味しい食べ物なハズなのに。。
なんで私は受け付けないんだろう。。

 

みんなが美味しいと喜んで食べているそれ、
私も美味しく食べられるようになりたい。 

私も食べたい。美味しいと思いたい。

 

と思うけれど、うまく食べられない現実。
気持ちとは裏腹に、身体が拒否してしまう現実。

 

だけど、今のわたしは、
過去の昔のわたしより、
遥かに美味しく食べられるようになっている。

 

愛のあるあたたかい人たちのおかげでしかない。

 

無理やり前を向こうとか、無理やり前に進もうとはしなくていい。

 

私は、私のペースで、まず何より、
私の気持ちを大切に丁寧に、聞いてあげる。
受け入れてあげる。認めてあげる。

 

どんな自分も、大切に丁寧に、受け入れてあげる。愛してあげる。

 

それでいて、
聞いてあげられなくてもいい。
受け入れられなくてもいい。
愛せなくてもいい。

どんな自分でも大丈夫。

 

私にとっては、本当にそこが1番大きな力になるんだ。

 

自己肯定は、必要な人には必要。

私の中にはいつも、
誰かに否定される批判されるという恐れがある。 

 

どーせ、この投稿だって、こういう想いだって、
「自己肯定なんかするヤツは〜」
「くだらない。そんなんだから成長しない。」
だなんて、誰かに否定批判されるんだろーなって。

 

あ、はいはい、すみません。
「誰もお前の投稿や意見なんて、見てもないし、聞いてもないし、興味もねぇよ。自意識過剰なんだよ。被害妄想激しいんだよ。」
ですね。はい。

 

あ、はいはい、すみません。
「お前は自己否定が美味しいんだろ。だから、ずっとそうやってんだよ。好きでそうやってんだよ。」

・・・って具合にね。

 

私の心の中にいる批判者に伝えよう。

 

あなたにそんなこと言われても、
私は良い状態にならないし、成長もしないって。

 

ぺろり。

全ての想いを全ての気持ちを、ぺろり。

 

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■ 大切だから離れたい ■

 

自分にとってそれが、大切な場所であるほど、自分がそこに大切な存在として存在することを、許せなくなる。怖くなる。プレッシャーになる。不安になる。苦しくなる。

 

自分じゃない他の誰か優秀で素晴らしく思える人が存在してくれたら、安心する。楽。 


それと同時に、そんな人が羨ましくも思う。
それは、自分もそうなりたいと願っているから。


そのくせ、自分で諦めて閉ざしている。
そのくせ、諦めきれないし閉ざしきれもしないという。

 

にゃんこやわんこのように、寄り添って穏やかに生きていたい。

 

■ 美味しいは正義 ■

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今日作って食べた、チンジャオロース風炒め物がむちゃくちゃ美味しかった。

 

同じような味付けは何度も作ってきたけれど、
今日の味の完成度は愛子さんの世界記録更新だ!!笑

 

仕上がり具合が今回のはバッチリだった!

大満足。

 

ただ若干、濃い味塩分過多になってしまったので、
次回はもう少し控えめにしたい。

 

おうちでは基本的に無気力だから、
自炊は面倒。

 

だけど、私は腸の消化・吸収能力がとても弱いので、
体にあまり良くないものや偏った栄養バランスのものを食べ続けていると、すぐにお腹が痛くなる。

 

あまりにお腹が痛くなるので、
痛みを避けたいがために自炊することも多い。笑

 

しかし、しばらくすると、痛みを忘れてしまう。

 

そこで余裕をかまして消化吸収がよくないものを食べ続けていると、
後になって激しく悶絶することになる。  

 

そしてまた、意識してお腹に優しくする。

 

そしてまた、私は忘れる。
そしてまた、私は余裕をかます。

 

そしてまた、私は悶絶する。

 

あゝ、人間ってなんでこんなにも過去の過ちを繰り返す愚かな生き物なんだろう。

 

(自分の問題を一般化してごまかす) 

 

・・・ ・・

 

美味しいものを食べたり飲んだりするのが、
とても幸せ。

 

もしも結婚することがあったら、

 

美味しいものを一緒に食べて
「おいしいねー*」

って言い合って、

 

天気がいいと
「いい天気だねー*」

って言い合って、

 

素敵だねー面白いねー楽しいねー*
幸せだねーあったかいねー*

 

って言い合って、 

 

あたたかく寄り添って平和に生きていく生活が幸せだなぁと思います。*

 

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■ 強さの証明 ■

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強さを証明できるのは、

自分よりも強い人間を倒したとき。 

 

自分よりも弱い人間をいじめたところで、
「自分は弱いです」と言っているようなもの。

 

強さを証明したいなら、

 

黒人のプロボクサーやプロ野球選手に、

 

1人で喧嘩売るくらいは最低してほしいところ。

 

武器も持たずに。一対一で。

 

1人でアメリカのスラム街に行って、

ケンカ売ってくるとかね。

 

そんなこともできないくせに、
自分よりも弱い存在に当たってばかりな人間にはなりたくないわん。

 

ちなみに私は肉体的には弱さの極みですので、
優しくしてください♪

 

暴力も暴言も嫌です。
そういう人とはさようなら。

 

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■ 仕事を楽しんでいる人は、人生を楽しんでいる。 ■

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今日は目立ったミスなく、
いつもの自分にしてはスムーズにお仕事ができた。

 

よかった。。

 

安心して1日を終えられる。
心からよかった。

 

休み明けの出勤日の朝は、
強いうつ状態になりやすくて
「今日はムリかもな…」
と思わず止まってしまいそうになる。

 

だけど、そこで踏ん張って出勤すれば、
体を動かし人と接するから状態が良くなる。

 

一日休んでしまうと、
そこからズルズル休みが増えていくのは目に見えているし。

 

今の環境なら、
仕事に行けば良くなるのは分かっている。

 

だから絶望的な朝を迎えても(苦笑)、

 

「ココで休んだらご飯が食べられなくなる」
「ご飯を食べるため」
「休んだらクレジットカードの借金も払えなくなる」
「借金を払うため」
「休んだら実家に戻るハメになる」
「実家に戻らずココで快適に暮らすため」
「生きていくため」
「快適にココで生きていくため」

 

と言い聞かせて、
自分をなんとか家から出してあげるのだ。

 

何度も書いているけど、
今の職場は本当に素晴らしいから、

 

うつの誘惑に流されて辞めることはしたくないのだ。

 

今まで同じ職場で2年以上続いたことがないから、
最低でも2年以上は続けてみたい。

自分の記録を更新したい。

 

就職活動をしたことすらなくて、
年単位でまともに働けたこともほぼなくて、
仕事に対する考え方も甘々だった私。

 

精神状態が改善されるにつれ、
少しずつ仕事のことをちゃんと考えられるようになってきた。

 

仕事を楽しんでいる人は、
目の前の今の仕事に集中している。
目の前の仕事に志をもってやりがいを感じている。

 

そういう人はプライベートも充実している。
人間関係も人生も豊かで楽しんでいる。
人柄も魅力的。

 

そんな職場の先輩たちの姿を見て、
「素敵だなぁ。私も楽しめるようになりたいな。」
と思った。

 

自然によい影響を受け、少しずつ学んでいくようになった。

 

人生も仕事も人間関係も楽しんでいる先輩たち。
私もここで楽しく修行を積んでいけば、
ぐんと成長できるだろう。

 

現にこの職場のおかげで、
変化したこと成長したことが多いなぁと実感できている。

 

・・・ミスなく終えられると、こんなにも前向きな文章が書けるみたいだ。あは。

 

心の平穏で満たされています。
ありがたや。

 

心の余裕ができたのでイラストに手を加えた。
人の手足や体を描くの難しいー。

 

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■ お金を稼げない人の特徴 ■

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お金は価値との交換。

 

稼げない人にとっては、 
その「価値」というのがネックなのだ。

 

自分はそんな価値を生み出せない、提供できないと思っているから。
自分はそんな価値をいただいて良い存在だと思っていないから。

 

もし価値を生み出せたとしても、
お金をいただく価値のない自分は価値を受け取ることができない。

 

価値のない自分は、
価値のあることを生み出せない。 

 

価値のない自分は、
誰の役にも立たない。

 

価値のない自分は、
価値のあるお金をいただけない。

 

役に立ってもいただくことに抵抗がある。

 

「他にもっと価値のある人がいる」
「他の人がいただいた方がいい」
「お金なら他の人に払った方がいい」
「自分じゃなくていい」
「自分はボランティア程度が似合っている」
「自分は価値をいただく価値がないから」
「他の人に『あんなのでお金をもらっているのかよ』と否定されるのが怖いから」

 

などと決めつけている。

 

いただくことに申し訳なさが伴う。

 

たとえ、実際に誰かの役に立てたり、
誰かに喜んでもらえたとしても同じ。

 

そこでお金を差し出されても、

 

「嬉しいし、ありがたいし、お金は欲しい。
だけど、自分なんかに申し訳ない。」

 

と感じる。

 

差し出されたお金はお返しするか、
恐縮ながらいただくかのどちらかだ。

 

もちろん私もお金はとても欲しい。

 

貯金なんてずっとゼロ円に等しいし、
クレジットカードの返済が溜まっている。

 

だけど、稼ぐ意欲がない。

 

稼げる方法を知っても、
それを続けることが苦痛になる。 

 

やりたいことで稼ぐほどの意欲もない。

そこまでしてやりたいこともない。

 

いつも自分のことばかり考えている。
他人に価値なんて与えられない。

 

与えられたとしても、
自分はそんな価値を受け取れないと抵抗する。

 

そうやって、
欲しいけど、諦めていくのが多くの人なのだ。

 

だけどそれでも、
みんな大なり小なりお金や価値をいただいている毎日。 

 

そうじゃなきゃ、
みんな今生きていない。

 

抵抗があっても、いただいていることは事実なのだ。

 

お金(価値)は、与える側も受け取る側も、

 

「お金を払う価値がある」
「お金を受け取る価値がある」

 

という前提の上で、行き来が成り立つ。

 

どちらにも、価値があることを認めていなければ、
お金の行き来は難しい。

 

払う価値がないと見なせば、ストップ。
受け取る価値がないと見なせば、ストップ。

 

働けばお金をもらえているのは、
国が制度として決めてくれているから。

 

制度がなければ、
お金の流れはストップしやすくなる。

 

それは、

 

「誰かには価値があって、誰かには価値がない」

 

と決めつけているから。

 

誰にも価値がないなら、
何にも価値がないなら、

 

お金という価値は誰にも与えられない。

 

何かに価値があるから、
お金が誰かに与えられる。

 

だけど、

貧困地域に住んでいる人たちも、
ニートや障害者や病人や犯罪者と呼ばれる人たちも、

 

誰かから支援されていたりする。

 

貧しい人たちに、誰かがお金を払っている。

 

それは、

 

「お金を払う価値がある」
「お金を払って支援する価値がある」

 

と認められているということ。

 

ということは、
貧しい人たちだって、どこかでだれかが「あいつなんて・・・」とぼやいている誰かだって、

 

「価値がある」

 

という意味になるのだ。

 

・・・・・だんだん話が本題から逸れてきた。。

 

お金ももちろん沢山欲しいけど、
好きな人と愛し愛され穏やかに暮らすのが何より豊かだ。 

 

お金と愛どちらが大事なんて質問はナンセンスで、
たぶんどちらもあるからこそ豊かなんだろう。 

 

お金があっても一人ぼっちなら楽しくないし、
愛があってもご飯が食べられなければ苦しいもの。

 

お金も食べ物も愛も、あるところには有り余ってるのに、
なんで全員に回っていかないんだろぉ〜。

 

好きな人を独り占めしたいのと同じなのかなぁ。

 

人間ってそういう生き物なんだろうな。

 

大切なものは自分だけのものにしたいんだよね。

 

大切なものは自分だけになってほしいんだよね。

 

浮気症の人だって、自分の女は自分だけの存在でいて欲しいと思ってたりするもんね。

 

ある部分では「共有すればいい」と思っていても、別の部分では「自分だけのものにしたい」と思っていたりするのが、私たち人間なのかもしれない。

 

分からないけど!

 

いつものことながら、話がずいぶん飛び飛びで逸れたところで終わり〜☆

 

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