Aiko's blog

今日も素敵なすてきな1日を*

■ 生きたい世界で生きる ■

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結果を出す人は確かにすごいし、見習う点も沢山あるだろう。

 

しかし、結果を重視する環境にいれば、
必ずといっていいほど

 

上下関係

 

ができる。

 

(正確には
『他人が決めた基準』に対する結果
を重視する環境かなぁ。)

 

そして、
他人のことを上下で見るようになる。

 

「アイツよりオレの方がすごい」
「オレはすごいだろ」
「お前はしょぼいなw」
「結果出してないお前は黙ってろ」
「オレの方が優れている強い」
「お前は劣っている弱い」
「だからお前はオレに従え」

 

というように。

 

特に若い10代の学生コミュニティなどは、
その様子が分かりやすく表れている。

 

スポーツ、勉強、恋愛。

そこで弱い者いじめが発生。
目に見えるカタチでも、目に見えないカタチでも。

 

私は別に他人に堂々と誇れるような結果など一つも出していないけれど、
もうそういう世界で生きるのはうんざり。
疲れた。

だから、さようなら♪

 

もちろん、
完全に価値観を排除することはできないし、
する必要もない。

結果に対する尊敬や憧れや願望は沢山あるし。

 

ただ、昔の私がいた極端なステージは卒業するということ。

ありがとう世界。ありがとうわたし。

私は私が心地よい世界を選択します。

 

またまだ他人を気にしまくっているけれど(笑)、
これからは、どんどん、

私が私の基準で生きていく。

 

あなたはあなたの基準。
私は私の基準。

 

他人の基準にどっぷりつかっていた私より。

 

一つ一つ、徐々に、自分のペースで、
取り除いて創り出していけばいい。

 

結果至上主義の人には、
こういう価値観・生き方は批判されるだろうけどね。

そんなんじゃ甘いってね。

その批判否定を、気にしない。

 

その声を気にして従う限り、
自分の人生は生きられない。

 

私は自分の人生を生きるのだ。
あなたはあなたの人生を生きるのだ。

 

※協調性をなくすという意味ではありません。
他人への思い遣りや配慮をなくすという意味ではありません。
単に自分勝手に生きるという意味ではありません。

 

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■ 死んだらそのとき ■

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ミサイル飛んできたらそのとき。
死んだらそのとき。

 

精神的にも肉体的にも死んだような感覚は慣れたので、特に不安や怖さがない。

 

薬を沢山飲んで全身の神経が麻痺して動けなくなったり、内臓がぐちゃぐちゃになるような強いうつ状態

 

死んだらそのときだ。

ムリして明るくて前向きな投稿ばかりする気もにゃい。


そういう投稿の方がウケが良いからとか、
人から良く思ってもらえるからとかは、
今の私にとっては重要じゃない。

 

私は自分のために書いている。
表現は癒し。

 

文章まで他人のことばかり気にして、自分を偽ってムリをするのはごめんだ。
私はそういうのにはもう心底疲れたから。

 

私にとって書くことは、自分の内面を吐き出せる安息の地なのだ。そこにまで制限や禁止を設けたくない。

 

「ネガティブな投稿をする人間は〜」などど批判する人も、私ほどに分かりやすい形のネガティブじゃないだけ。

 

一見ポジティブな人も、

攻撃的批判、攻撃的否定、

積極的批判、積極的否定

という形でネガティヴを表現していたりする。(私もね)

 

いつもネガティブとポジティブは共存している。

どちらも、いつも自分の中にあるもの。

 

どちらか一方だけが良いとか悪いとかではない。  

どちらか一方だけを、ないものにしない。

 

どちらも、ある。どちらも、あっていい。

 

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■ 外国から学びたいこと ■

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私が海外に行ってみたい理由は、
外人の体感覚を学び、吸収したいから。

 

なんの体感覚かというと。

 

「他人がどうであるかを気にせず、
自分の素直な気持ちや意見を、ズバズバ主張できる感覚」や、

「どんな相手も『対等』である感覚」

のこと。

 

(「対等」な目線だからこそ、率直な感情表現、意思疎通ができるのだろうと推測しています。)

 

長ったらしいので簡潔に言うと、

 

「自己主張の強さ」
「上下関係のなさ」「対等さ」
「その背景の体感覚」

 

を学びたいということ。

その「体感覚」を知りたい、吸収したいということ。

 

もちろん、一口に「海外」といっても、
色んな国がある。

 

例えば、儒教を重んじる韓国は、
日本の感覚に近いところもおそらく多いんじゃないかと思う。


(ただ、上下関係は似ているけど、自己主張はハッキリしている国民性のように思うので、
日本ともまた違うような気がしている。)

 

例えば、アメリカなどの海外にも上下関係はあっても、
その「上下」の中身が違うんじゃないかなって。

 

実力主義」なイメージがあるアメリカの「上下」は、
年功序列・肩書き」が優先される日本の「上下」とは、

きっと全然違うんだろうなって。

 

言いたいことをハッキリ言い合える対等さと率直さがあるからこその、
「実力」「上下」のようなイメージ。

 

もちろん、アメリカや他の国にだって、
年功序列や肩書が優先されやすい場合もあるだろうし、
差別意識に基づいた上下関係などもあるだろう。

 

ただ、そういう細かい点は置いておいて、
海外の人の体感覚や想いを知って、吸収してみたいって思う。

 

なぜかって、やっぱり私は、
他人に直接面と向かって、
自分の率直で素直な意見や感情を表すのが、
とても苦手だから。それでストレスを溜めやすいから。

 

それと、無意味で無駄でしかない上下関係が嫌だから。

そうじゃない海外の人のあり方や姿勢が、
素敵だな羨ましいなと思うから。

 

だから、
対等に率直な意思疎通をするのが当然な外国の精神・文化を、
吸収したいなって。

 

率直な意思疎通ができる海外の人たちは、
さっぱりしているんだよね。


喜怒哀楽がストレートだから、潔いというか、なんというか。

私みたいにねちっこくないのよ。笑

 

でもそれは、
自己肯定感や自信、あり方に育ち方、育て方、
精神性、文化、歴史・・・などの根本的なところから違うからだと思う。 

 

その、「体感覚」を知りたい吸収したい。

そのために、一度くらいは海外に行ってみたいと思っているのだ。

 

いつになるかは分からないけれど、
どうせなら1人で行けたらいいな。 

 

対等で、率直だからこそ、
大変有益で中身のある人間関係や創造性が生まれると思う。

 

(かといってもちろん、何でも率直がいいとは限らない。

日本の謙虚や配慮や思い遣りの良さは、
何にも比べられない。

素晴らしいし、これからもずっと受け継いでいきたいもの。)

 

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■ 女性にモテる男が、日本を動かす ■

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セクハラやじの後に起きたことは何か。壮大にコケてわかった、東京都議会という「伏魔殿」

 

この記事の中で指摘されている「おじさん」たちは、たぶん女性にモテない。女性に優しくないから。

 

モテないということは、かっこよくないということ。

そんな男性が、国民の支持を得られるワケがない。

 

かっこいいおじさんが政治家なら、
若い人たちも興味を持つ。

 

かっこいい男が政治家なら、
若い人たちも応援する。

 

議会では女性に厳しくても、
プライベートでは性欲の行き場を失っているお偉いおじさんたち。

 

議会でモテる男になれば、
きっと公私ともに「ウハウハ」ですよ〜。

 

がんばって!
日本のおじさん☆日本の男性☆


女性に優しくてモテる人がこれからのリーダー!なはずっ!

 

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■ 大好きな人が1番 ■

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人として、

 

「大好きだ!」
「この人!」

 

と思える人の近くにいるのが、1番だって思う。

 

自分の力や可能性は、

 

「大好きだ!」
「この人!」

 

と思える人とだからこそ、

引き出されるし、活かされるって。

 

・・・・・

 

今まであんまり気にしたことがなかったけれど、

私はたびたび、
上のステージにいる人からお誘いを受けていたことを思い出した。

 

私が所属していたコミュニティの長と一緒にビジネスをやっていた人や、
その長のビジネスパートナーのそのまたパートナーの人や、
その長と面識があってビジネスで結果を出し続けている人、

 

などに、そういえば以前お誘いを受けていた。

 

あ、色っぽいお誘いではありません。笑

 

「僕らのところにセールスライターとして本気で修行しに来ませんか?」


「セミナーのお手伝いしてくれる人を探しているのと、一度会って話してみたいです。」


「僕のサイトのライターやりませんか?1記事~円で。」

 

といったお誘いだった。

 

それぞれ、本気度には差があるけれど、
本気でガチなものもあったし、どれもおふざけではなく、
真面目なものだった。

 

その界隈では活躍している人ばかりだったから、
誰にでも声をかけているワケでもないだろうことは分かる。

 

もちろん、本当の真相は、その誘いを受けてからでないと、
分からないかもしれない。

 

だけど少なくとも私には、おふざけではないと感じられた。

 

なのだけど、お誘いを受けた当時は、

今よりも 

人への不信感が強かったり、
精神的な不安定さが強かったり、
自分はどんな道に進みたいのかよく分かっていなかったり、
相手に対して「この人!」と思えなかったりして、

結局すべてお断りする形となった。

 

お断りの理由はいろいろあるけれど、

今になって考えると、

何より「この人なら!」と思えるような相手ではなかったことが大きかったなぁと思う。

 

でもそれは、相手に問題や不足があるという意味ではない。

 

単に、歴史や背景や思い入れなどがなかったということ。


そもそも、そのお誘いをされたとき、初めて直接コミュニケーションを取った人ばかりだったので。

 

確かに信用できそうだし、お世話になっている人とも関わりがある相手だけれど、
何も知らない相手。

 

もちろん、そこに思い切って飛び込むからこそ、
いわゆる「成功」に近づくのかもしれないし、

「成功」する人って、そういうタイミングを掴む人だったりもするだろう。

 

だけど、当時の私は、
すでに

 

「この人が好きだ!」とか
「この人がいい!」とか
「この人!」と思える人たち(複数形です)

 

と出逢っていた。

 

だから、それ以外の人は、
信用できそうな、すごそうな人でも、
本気でついていきたいとは思えなかった。

 

一度お誘いの中の一つを受けようとしたこともあったけれど、
やはり「この人!」と思える人じゃなかったから辞めた。

 

今振り返ると、それでよかったなぁって思う。

 

・・・・・

 

そして今。

「この人!」と思える方の、

めっちゃ小さくて些細だけど、お手伝いをさせていただいている。
作業内容だけなら、正直誰でもできるくらいの。

 

(とはいえ誰でもできることを、全うすることも、今の私はまだまだできていない未熟者の塊ですが。)

 

だけど、

自分が信じられる思い入れのある人だからこそ、

もっと貢献できるようになりたい、
もっと成長していきたいって心から思える。

そして内側からの充実感がある。

 

なんでもそうだけど、
やっぱり自分が好きな人、思い入れのある人、
「この人!」って思える人が1番だと思う。

 

例えば、私がお世話になった方が最近写真家活動をされているのだけど、
私もその人に写真撮ってもらいたい!って思う。


それは、私がその人のことを大好きだから。
「大好き!」「この人!」と思える人だから。

 

恋愛感情とはまたちょっと違う。

 

もっと深いところ、

 

人としての「大好き!」「この人!」

 

という感覚。思い入れ。想い。信頼。愛。

 

好きな人なら、下手くそでもいびつでも偏っててもブサイクでも何でもいいくらい。

 

むしろ、好きだからこそ不自然なキレイさとか美しさとか整いとか、邪魔だったりする。

 

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■ 理想の関係 ■

 

我慢なしで、相手を大切にできる状態がベストだと思う。 

 

好きで大切にしたいと自ら、自然に思うから、
自分でそうしているだけという状態。 

 

「相手が嫌って言うから、
本当は浮気したくて仕方ないけど、
我慢する。」

 

「相手が嫌って言うから、
本当はもっと自分勝手にしたくて仕方ないけど、
我慢して相手を大切に扱う。(フリをする。)」

 

というのがワーストだと思う。

 

その我慢にはいずれ破綻が来る。

 

違う人間同士だから、
我慢がゼロになることはないかもしれないけれど。

 

それでもお互いの姿勢の方向が同じなら、
どうにかなるんじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

■ 相手の「背景」を受容する姿勢 ■

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カウンセリング的なアプローチが素敵だなと思うのは、
どんなときも「背景」を見ようとしているところ。
背景を汲み取ろうとしてくれるところ。

 

つまり責めや一方的な否定がない。

 

だけどカウンセリング以外のアプローチだと、

 

「あなたのそこができていない」
「あなたのココが問題だ」
「あなたはこうすれば上手くいく」

 

みたいな接し方ばかりで、

それって、言われた方からしたら、

ものすごく否定されている気分なんだよね。


一方的に、責められている感じ。

 

人間関係一つにしてもそう。

例えば男女関係。

 

カウンセリングでは、どちらのことも責めない。

男女どちらにも、様々な背景があることを汲み取ろうとするから、どちらのことも責めない。

仕方ないよねってまず受け入れる。

その姿勢が心を癒す。

 

だけど、

表面的な行動や考えばかりにフォーカスして

 

「男の方が悪い」
「女の方が悪い」
「どちらかの方に原因がある」
「自分に原因がある」
「あなたのそこができていない」
「あなたのココが問題だ」
「あなたはこうすれば上手くいく」

 

とばかり言われても、

心に響かないばかりか、
自己否定感や責めが強くなる。

反発心反抗心も芽生える。

 

「私にだけ非があるような言い方をされて心外だな」

「どうせこの人は私が悪いと言いたいんだな」

「背景を汲み取って、そうなるのは仕方ないよねっていう受容の態度ではなく、

背景を汲み取っておきながら、結局、
「そこがあなたはダメなんだよ」とダメだし批判否定されているだけのような感覚がする」

「いろんな様々な背景があるからそうなったのに、あなたに何が分かる?」

 

というように。 

 

私は自分がそういう見方をされるのが嫌だから、
他人を見るときは、できる限り
その人の「背景」を想像しようとしているつもり。感じようとしているつもり。

 

表面的にはいびつでも、
そうなるしかなかった、仕方なくそうなった
「背景」
があるから。

 

それを想像したり感じ取ろうとすれば、
相手のことを一方的に悪いとかダメだって決めつけなくなるから。

 

自分がそうされるのが嫌だし、
自分がそうするのも嫌。

 

自分にも他人にもいつも、
「背景」
を想像したり感じ取ろうとする姿勢でいたい。

 

それはとても心があたたかくなるから。

 

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