Aiko's blog

今日も素敵なすてきな1日を*

■ 大好きな人が1番 ■

f:id:aiko__blue:20170615235022j:image

 

人として、

 

「大好きだ!」
「この人!」

 

と思える人の近くにいるのが、1番だって思う。

 

自分の力や可能性は、

 

「大好きだ!」
「この人!」

 

と思える人とだからこそ、

引き出されるし、活かされるって。

 

・・・・・

 

今まであんまり気にしたことがなかったけれど、

私はたびたび、
上のステージにいる人からお誘いを受けていたことを思い出した。

 

私が所属していたコミュニティの長と一緒にビジネスをやっていた人や、
その長のビジネスパートナーのそのまたパートナーの人や、
その長と面識があってビジネスで結果を出し続けている人、

 

などに、そういえば以前お誘いを受けていた。

 

あ、色っぽいお誘いではありません。笑

 

「僕らのところにセールスライターとして本気で修行しに来ませんか?」


「セミナーのお手伝いしてくれる人を探しているのと、一度会って話してみたいです。」


「僕のサイトのライターやりませんか?1記事~円で。」

 

といったお誘いだった。

 

それぞれ、本気度には差があるけれど、
本気でガチなものもあったし、どれもおふざけではなく、
真面目なものだった。

 

その界隈では活躍している人ばかりだったから、
誰にでも声をかけているワケでもないだろうことは分かる。

 

もちろん、本当の真相は、その誘いを受けてからでないと、
分からないかもしれない。

 

だけど少なくとも私には、おふざけではないと感じられた。

 

なのだけど、お誘いを受けた当時は、

今よりも 

人への不信感が強かったり、
精神的な不安定さが強かったり、
自分はどんな道に進みたいのかよく分かっていなかったり、
相手に対して「この人!」と思えなかったりして、

結局すべてお断りする形となった。

 

お断りの理由はいろいろあるけれど、

今になって考えると、

何より「この人なら!」と思えるような相手ではなかったことが大きかったなぁと思う。

 

でもそれは、相手に問題や不足があるという意味ではない。

 

単に、歴史や背景や思い入れなどがなかったということ。


そもそも、そのお誘いをされたとき、初めて直接コミュニケーションを取った人ばかりだったので。

 

確かに信用できそうだし、お世話になっている人とも関わりがある相手だけれど、
何も知らない相手。

 

もちろん、そこに思い切って飛び込むからこそ、
いわゆる「成功」に近づくのかもしれないし、

「成功」する人って、そういうタイミングを掴む人だったりもするだろう。

 

だけど、当時の私は、
すでに

 

「この人が好きだ!」とか
「この人がいい!」とか
「この人!」と思える人たち(複数形です)

 

と出逢っていた。

 

だから、それ以外の人は、
信用できそうな、すごそうな人でも、
本気でついていきたいとは思えなかった。

 

一度お誘いの中の一つを受けようとしたこともあったけれど、
やはり「この人!」と思える人じゃなかったから辞めた。

 

今振り返ると、それでよかったなぁって思う。

 

・・・・・

 

そして今。

「この人!」と思える方の、

めっちゃ小さくて些細だけど、お手伝いをさせていただいている。
作業内容だけなら、正直誰でもできるくらいの。

 

(とはいえ誰でもできることを、全うすることも、今の私はまだまだできていない未熟者の塊ですが。)

 

だけど、

自分が信じられる思い入れのある人だからこそ、

もっと貢献できるようになりたい、
もっと成長していきたいって心から思える。

そして内側からの充実感がある。

 

なんでもそうだけど、
やっぱり自分が好きな人、思い入れのある人、
「この人!」って思える人が1番だと思う。

 

例えば、私がお世話になった方が最近写真家活動をされているのだけど、
私もその人に写真撮ってもらいたい!って思う。


それは、私がその人のことを大好きだから。
「大好き!」「この人!」と思える人だから。

 

恋愛感情とはまたちょっと違う。

 

もっと深いところ、

 

人としての「大好き!」「この人!」

 

という感覚。思い入れ。想い。信頼。愛。

 

好きな人なら、下手くそでもいびつでも偏っててもブサイクでも何でもいいくらい。

 

むしろ、好きだからこそ不自然なキレイさとか美しさとか整いとか、邪魔だったりする。

 

f:id:aiko__blue:20170615235022j:image

■ 理想の関係 ■

 

我慢なしで、相手を大切にできる状態がベストだと思う。 

 

好きで大切にしたいと自ら、自然に思うから、
自分でそうしているだけという状態。 

 

「相手が嫌って言うから、
本当は浮気したくて仕方ないけど、
我慢する。」

 

「相手が嫌って言うから、
本当はもっと自分勝手にしたくて仕方ないけど、
我慢して相手を大切に扱う。(フリをする。)」

 

というのがワーストだと思う。

 

その我慢にはいずれ破綻が来る。

 

違う人間同士だから、
我慢がゼロになることはないかもしれないけれど。

 

それでもお互いの姿勢の方向が同じなら、
どうにかなるんじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

■ 相手の「背景」を受容する姿勢 ■

f:id:aiko__blue:20171030014510j:image

 

カウンセリング的なアプローチが素敵だなと思うのは、
どんなときも「背景」を見ようとしているところ。
背景を汲み取ろうとしてくれるところ。

 

つまり責めや一方的な否定がない。

 

だけどカウンセリング以外のアプローチだと、

 

「あなたのそこができていない」
「あなたのココが問題だ」
「あなたはこうすれば上手くいく」

 

みたいな接し方ばかりで、

それって、言われた方からしたら、

ものすごく否定されている気分なんだよね。


一方的に、責められている感じ。

 

人間関係一つにしてもそう。

例えば男女関係。

 

カウンセリングでは、どちらのことも責めない。

男女どちらにも、様々な背景があることを汲み取ろうとするから、どちらのことも責めない。

仕方ないよねってまず受け入れる。

その姿勢が心を癒す。

 

だけど、

表面的な行動や考えばかりにフォーカスして

 

「男の方が悪い」
「女の方が悪い」
「どちらかの方に原因がある」
「自分に原因がある」
「あなたのそこができていない」
「あなたのココが問題だ」
「あなたはこうすれば上手くいく」

 

とばかり言われても、

心に響かないばかりか、
自己否定感や責めが強くなる。

反発心反抗心も芽生える。

 

「私にだけ非があるような言い方をされて心外だな」

「どうせこの人は私が悪いと言いたいんだな」

「背景を汲み取って、そうなるのは仕方ないよねっていう受容の態度ではなく、

背景を汲み取っておきながら、結局、
「そこがあなたはダメなんだよ」とダメだし批判否定されているだけのような感覚がする」

「いろんな様々な背景があるからそうなったのに、あなたに何が分かる?」

 

というように。 

 

私は自分がそういう見方をされるのが嫌だから、
他人を見るときは、できる限り
その人の「背景」を想像しようとしているつもり。感じようとしているつもり。

 

表面的にはいびつでも、
そうなるしかなかった、仕方なくそうなった
「背景」
があるから。

 

それを想像したり感じ取ろうとすれば、
相手のことを一方的に悪いとかダメだって決めつけなくなるから。

 

自分がそうされるのが嫌だし、
自分がそうするのも嫌。

 

自分にも他人にもいつも、
「背景」
を想像したり感じ取ろうとする姿勢でいたい。

 

それはとても心があたたかくなるから。

 

f:id:aiko__blue:20171030014510j:image

■ 私たちは自由である ■

f:id:aiko__blue:20171030013836j:image

 

私たちは、どんな言葉を使ってもいい。
私たちは、どんな価値観を持ってもいい。 

 

人に積極的に迷惑をかけたり傷つけてもいいという意味ではない。  

 

誰かに遠慮して、
自分の自然な想いや願望を殺す必要はないということ。

 

影響力の強い人が何と言っていても、
どんなに力強く主張していようとも、

私たちはそれに従う必要がないということ。

 

どーでもいいということ。

 

従うことで窮屈な思いをするなら、
そんなもの、ガン無視したらいい。

 

自分の自然な想いを大切にしよう。
自分の自然な想いを、まず自分が聞き入れてあげよう。

 

何度も注意書きをしますが、
これは人に迷惑をかけていいとか傷つけていいという意味ではない。

 

人からいただいた善意のアドバイスや助言を無視することを勧めているわけでもない。   

 

他人の発言に振り回されて、
自分の想いを見失ったり、
窮屈や苦しさを感じることが多い人は、

一度親離れしようということ。

 

親というのは、文字通り自分の親でもあり、
自分にとって影響力が大きい人のこと。 
世の中や社会にとって影響力が強い人のこと。

 

昔、「親」にどっぷり依存して苦しんでいた私より。


卒業したおかげで、今はとっても楽で解放されています。

 

f:id:aiko__blue:20171030013836j:image

■ 女性性 ■

f:id:aiko__blue:20171114132816j:image

 

私は、いつもいろんなことを、
偏って受け取ってばかりみたい。

 

いろんなことを、自分の不足や無価値感にばかりつなげて解釈してしまう。

 

相手や他人は別に私のことを言ったわけではなくても、
私はいつも自分の「無い」ところとつなげて考えてしまう。

 

いつも、人と比べてばかり。

上を見たり下を見たり。

 

ふっくらしていて女性らしい体型の人を見ると、
いつも羨ましいと思う。

私もあんな体型に生まれたかったなぁって。

 

そしたら、

もっと好きな人にも好かれるし、
人にも認めてもらえるし、
女性らしい魅力をもてるし、
女性らしいお洋服も似合うし、
水着だって着られるし、
自分のこととっても好きになれるだろうなぁって。

 

でも、残念だけどなれないんだよ。

私は、食べても食べても太れない体質。

 

胸がないのはもちろん、
あばら骨や骨盤の骨も浮いている。
手足はガリッガリ。

 

子供のときから今に至るまで、
「やせ過ぎ」
「ごはん食べてる?」
ってずっとずっとずっと、言われてきた。

 

そのたびに、私は自己否定と自己嫌悪を積み重ねていた。

鏡を見ても、自分の体が気持ち悪くなる。

 

私の身体、男じゃんって。
気持ち悪いって。

 

女性として生まれたのに、
女性らしく生まれたかったのに、
女性らしい魅力が欲しかったのに、
それが決定的にない。

 

顔や身体って、自分の性的自己肯定感を、
著しく左右する。

 

私は、顔も身体も、とても男っぽい。

全身骨ばっていてガリガリでゴツゴツしていて肉がない。

 

女の人は、軽々しく
「痩せてていいね」
なんて適当なことを言うけれど、

 

じゃぁ本気で私になってみてよ、
それで自己否定感自己嫌悪感を、
じゃぁ味わってみてよって思ってしまう。

 

ひねくれているね。

それくらい、自分が嫌なんだ。

外見も性格も。

 

なんで女性として生まれてしまったんだって。
なんで生まれてしまったんだって。
男に生まれたかったって。
というか生まれてきたくなかったって。

 

私の死んだお母さんは精神病だったし、
お母さんのお兄さんも精神病で入院したまま。
お父さんも超卑屈でネガティヴな人。

 

親のせいにしても仕方ないのは頭では分かっていても、
つい心は親のせいにしたくなる。

 

もっとまともな正常な両親が生んでくれたら、
まともで正常な人間に生まれたのにって。

 

病的な人間、自己愛もない人間が、
子供なんか生むんじゃねぇよって、
私を生むなよって思ってしまう。

 

人のせいにしても、仕方ないけれど。
仕方ないのに、恨んでばかり。

 

彼に対する気持ちは、
父親に対する気持ちに通じている。

 

f:id:aiko__blue:20171114132816j:image

■ 漂う自分 ■

f:id:aiko__blue:20171030013342j:image

 

前向きで明るいように見える私には、
人が集まって応援してくれる。 

 

そうじゃない私には、
誰も近寄らないし近寄りたくない。
人は離れる。

(近寄るとしたら、強い優しさを持っている人か、弱い優しさを持っている人のどちらか。) 

 

そりゃぁ誰も暗い人には近寄りたくないのは当たり前。

当たり前なんだけど、
私にとってそれは、とてもプレッシャーで疲れる。 

 

頑張っている私。前向きで明るく進んでいる私。

何もしていない私。ただひたすら漂っている私。 

 

頑張って前向きな私には、誰かが好意的に思ってくれるけれど、
そうじゃない私には、価値が無いみたいな。

 

「価値がない」という言葉にはしていないけれど、
例えばFacebookの投稿一つにしたってそうだなって感じる。

前向きで明るいものには、コメントやいいね!が沢山つく。 


そうじゃないものには、反応がない。

それは、これは、当たり前のこと。
当たり前。

 

なのだけど、
なんか、疲れるなーって。
プレッシャーだなーって。

 

結局、他人の反応や評価を気にしている限り、
私は「前向きで明るくて頑張っていて成長している私」を『演じよう』としてしまう。 

 

無気力でネガティブな私を隠して、
作り笑顔をし続けているようなもの。 

 

とはいえ、もちろん
前向きで明るい私が、いつも演技なワケではない。

 

それを継続させようとか、
他人の評価を気にするようになると、
だんだん演技になっていくということ。

それが辛くなっていくということ。 

 

「良い状態」(と他人が決める状態)
でいれば他人は賞賛するけど、

 

「悪い状態」(と他人が決める状態)
でいれば他人は批判する。

 

批判されないよう、嫌われないよう、
良い評価をしてもらえるよう、

前向きで明るくて笑顔で頑張って良い状態をキープしている私が演じようとする。

 

(※何度も言うが、前向きで明るい私がいつも、
演技という意味ではない。
自然体でそうなっているときも、沢山ある。)  

 

・・・・・

 

私は今まで余計なものにエネルギーを使い過ぎたように思う。
今もそうだけど。 

 

うつ状態はもう6年くらい続いている。

エネルギーが枯渇していると感じることが多い。

 

お仕事の日もそうだし、
休みの日は特に無気力の塊。

 

何もしたくなくて、ただひたすらベッドに横たわって寝ている。
休みの日はずっと寝たきり。 

 

外に出るとか人に会うなんて、
自分からしようだなんて思わない。

 

ものすごく、エネルギーを浪費してしまうから。

使わなくていいところにばかり、気を使ってしまう。

 

運動や食事はもちろん大切だろうけど、
それではもうどうしようもできない領域がある。

 

・・・とこうして書いていたら、
また少し心が軽くなってきた。

 

f:id:aiko__blue:20171030013342j:image

■ すぐそばにいる素敵なひと ■

f:id:aiko__blue:20171030012822j:image

 

自分を大切にしない人から離れてよかった。
おかげで心が軽くなった。解放された。

 

つながっていたときは、毎日毎日苦しかった。
苦しいのに、離れられなかった。

 

だけど今、離れることができて、
本当に楽。自由。

よかった。

 

好きとか愛おしいとは思うけれど、
もう戻りたくはない。 

 

私はこれから、ゆっくりゆっくり、
自分の心を癒していく。

 

私はこれから、ゆっくりゆっくり、
新しい人生を歩んでいくんだ。

新しい人たちとの関係を。

 

私が心地よい、安心する、幸せだと感じられる世界で共に生きていける人たちと、
つながっていよう。

 

職場で慕っているお姉さんが、とっても素敵な人で、その人から沢山のことを学ばせてもらっている。


彼女は、生きる自己啓発本
現場で、徹底的に現実に生きて、徹底的に現実を動かしている人。

 

私は「パワーパーソン」という理念を基にした研修に参加したことがあるのだけれど、
彼女は正に「真のパワーパーソン」だ。 

 

彼女は自分から進んで起業しようとは思っていないから、たまたま私と同じ職場で一緒に働いている。

 

だけど、もし起業しても必ず大成功しているような器と実力とエネルギーと愛を持っている人。

 

起業こそしていないけれど、もうすでに、
純然たる成功者。

成功者という俗な言い方を、あえて分かりやすくするとしたらね。

 

なんでこんなところに…という言い方は職場に失礼だけれど(笑)、
普通に働いている人の中にも、こんなにすごい人がいるんだなぁと驚く。 

 

あり方、考え方、生き方、
そこが何よりしっかりしているからこそなんだなぁって。 

 

愛と人間力にあふれているひと。

 

出逢う人全てといってもいいくらい、
多くの人を愛しているし、
多くの人に愛されている人。

 

彼女だけでなく、今の職場で一緒に働かせていただいている人たちはみんな、
それぞれ素敵なところがあって、
それぞれみんな愛があって心優しい。

 

私はまだしばらくここで、
修行させていただきます。 

 

自分の課題がたくさんある。
どれも全部、やはり根本的なところから生まれる課題。

 

自己愛と他者愛にあふれた人たちの背中を見て、
どうにかほんの少しずつでも乗り越えていけたらいいなぁ。

 

自分の頑固さ、凝り固まったものに日々直面している。
他人や自分への信頼感がないんだってことにも気づかされる。 

 

「心を開いていない。人を信じていない。」
と指摘していただいた。  

 

あー、私はまだそうだったんだなぁって。
自分では、よく分からないことも多い。

 

心を開く、他人を信じる…。

 

私には、まだまだ沢山の恐れがあるみたいだ。

だけど、みんなあたたかい人たちばかり。 

 

ゆっくり少しずつでも、
乗り越えていけたらいいなぁ。

 

うわーん!!笑

 

f:id:aiko__blue:20171030012822j:image