■ 自分よりも影響力がある(と思い込んでいる)人の主張を、無視できたときに成長を実感した。■
自分よりも何かにおいて優れているとか、上回っている(と思い込んでいる)人たちの発言に、
今まではいちいち振り回されていた。
あの人がAと言えばAで。
その人がBと言えばBだった。
「自分の人生を生きることが大事。
だから〜はAなんだ。」
「自分を取り戻そう。〜するとCになるぞ。」
と主張する人たちの言葉に従ってきた。
自分の人生を、自分の想いを大切にしたかったハズなのに、
結局それを声高に主張している他人の人生観に、他人の哲学に、他人の意見に、
従っていた。振り回されていた。依存していた。
だけど、もう今は違う。
必要なところは自分に取り入れて、
そうじゃないところは無視できる。
「それについては、私はそうは思わない」
「そこは私とは違う」
「私はこう思う」
「私は私の想いを大事にする」
ってね。
今まで何か絶対的な強いものを求めていた。
今まで何か絶対的な強い人に従ってきた。
今まで何か揺るぎない答えを探してきた。
だけど愛してもらう体験をして、
受け入れてもらう体験をして、
私は私でいいんだと思えるようになった。
そう思えることが圧倒的に増えた。
どんなに影響力があるように思える人が鋭い主張をしていても関係ないんだ。
だって、その人は私じゃないもの。
どれだけ何かすごそうな結果や実績や力があるように見えてもね。
どれだけいかにも正しそうに見えてもね。
その人が唯一絶対の答えじゃない。
その人が唯一絶対の正解じゃない。
だって、その人はあなたじゃないから。
その人は、私じゃないから。
自分の中で、強い想いになっていることは、
どんなにすごそうな強そうな他人に否定されたって批判されたって、
ブレない。揺るがない。
だって、私の中に存在するから。
私の中に、どうやったってどうしたって、存在するから。
あなたの中に存在するから。
あなたのなかに、どうやったってどうしたって何をされたって、存在するものだから。
誰かになんと言われようと、
誰にもそれを侵害することなどできない。
すごい(と思い込んでいる)人や強い(ように見える)人の想いと、
自分の想いは違うんだって、
自分の想いは自分の想いなんだって、
静かにだけど力強く認められるようになったとき、
なんだか成長したんだなと気付いた。