■ 1人の「多面性」を見る ■
100人いたら100通りの考えがあるというけれど、
それは1人の中でも言える。
1人のひとの中にも、100通り何通りもの違う面がある。
昨日と今日で考えが変わったり、状態も変わったりするから。
例えば私は、仕事から逃げた話を前回の投稿で書いた。
その投稿だけ見たら、私は「逃げる人間」だ。
そこだけ見れば、「あーきっといつも逃げる人間なんだな」と決めつけることもできる。
けれど、実際の私は、逃げなかったことだってあるワケで。
例えば、学校と部活からは逃げなかった。
最後まで参加し続けた。
小中高と8年間ほどバレーボール部でずっと部活をやっていたけど、
その中ではいじめもあったし、厳しい上下関係やぐちゃぐちゃな人間関係や、
厳しいトレーニングや練習が毎日待ち受けていた。
けれど、私は逃げずに毎日学校に行った。毎日部活に参加した。
孤立してひとりぼっちなときでも、毎日学校に行った。
厳しくて怖くてつらい人間関係や練習があっても、毎日参加した。
そのときの私には「逃げる」とか「辞める」という選択肢はなかった。
ただ耐え忍んで食らいついていくしかなかった。
辞めても居場所がなかっただろうし、辞めなくても居場所がないのは同じだったと思う。
だけど、そのとき逃げずにやり続けたからこそ、
身体的な体力もついたし精神的な忍耐力も身についた。
トレーニングのおかげで、
学校で行われる体力測定の20mシャトルランでは、
最後まで余裕で走り続けて女子の満点を余裕でとれるくらいの体力がついた。
私は体が細くていつも軟弱そうに見られることが多いけれど、実はそうじゃなかったりもするのだ。
今の私は残念ながら、本当に体力がないのだけれど。
精神的な忍耐力や粘り強さのようなものは、学校を卒業して大人になってからも内側にひそみ続けているように思う。
そのときの逃げなかった経験や培った精神性のようなものがあったからこそ、
今の私がある。
そのおかげで、生きる力がついた。
・・・・・
何が言いたいかというと、こうして1人の人間の中にも、
「多面性」「多様性」があるということ。
逃げたこともあれば、逃げなかったこともある。
強いところもあれば、弱いところもある。
ついつい一つの視点だけで決めつけてしまいがちだけど、
1人の人の中にも、たくさんの異なる面があると私は思う。
昨日と今日の私は全然違うことだってあるし。
1時間前と1時間後の誰かも全然違うことだってある。
どんなその人も、その人なんだ。
1人のひとの中にも、多様性がある。