■ 笑いのインプット ■
真面目で頑固で融通きかなくてマニュアル人間な私は、
おふざけやユーモアや笑いの偉大さに気づいている。
だから最近はずっと、
吉本新喜劇(主にすっちー)や笑える作品や文章をインプットしている。
・・・と、ここまでの文章がすでに堅苦しくて何の面白味も表現できていないくらいに、真面目です。こんにちは。
いいじゃないか。
このクソ真面目を活かしてユーモアにしていこう。うん。
あゝ、女の子がクソだなんて言ったらダメだ。
女子たるもの、上品に丁寧語を使わないとね。
この、おクソ真面目を活かしてユーモアにしていくのよ。うん。
特にインプットしていきたいユーモア様。
吉本新喜劇のすち子さん、
『ブスの本懐』のカレー沢薫さん。etc...
面白い人は、頭が良くて頭の回転が速くて、
語彙力と表現力がみなぎっている。
私のおクソ真面目さもみなぎっている。(抑えろ)
あ、でも著作権無視するくらいには不真面目よ。
■ 生きたい世界で生きる ■
結果を出す人は確かにすごいし、見習う点も沢山あるだろう。
しかし、結果を重視する環境にいれば、
必ずといっていいほど
上下関係
ができる。
(正確には
『他人が決めた基準』に対する結果
を重視する環境かなぁ。)
そして、
他人のことを上下で見るようになる。
「アイツよりオレの方がすごい」
「オレはすごいだろ」
「お前はしょぼいなw」
「結果出してないお前は黙ってろ」
「オレの方が優れている強い」
「お前は劣っている弱い」
「だからお前はオレに従え」
というように。
特に若い10代の学生コミュニティなどは、
その様子が分かりやすく表れている。
スポーツ、勉強、恋愛。
そこで弱い者いじめが発生。
目に見えるカタチでも、目に見えないカタチでも。
私は別に他人に堂々と誇れるような結果など一つも出していないけれど、
もうそういう世界で生きるのはうんざり。
疲れた。
だから、さようなら♪
もちろん、
完全に価値観を排除することはできないし、
する必要もない。
結果に対する尊敬や憧れや願望は沢山あるし。
ただ、昔の私がいた極端なステージは卒業するということ。
ありがとう世界。ありがとうわたし。
私は私が心地よい世界を選択します。
またまだ他人を気にしまくっているけれど(笑)、
これからは、どんどん、
私が私の基準で生きていく。
あなたはあなたの基準。
私は私の基準。
他人の基準にどっぷりつかっていた私より。
一つ一つ、徐々に、自分のペースで、
取り除いて創り出していけばいい。
結果至上主義の人には、
こういう価値観・生き方は批判されるだろうけどね。
そんなんじゃ甘いってね。
その批判否定を、気にしない。
その声を気にして従う限り、
自分の人生は生きられない。
私は自分の人生を生きるのだ。
あなたはあなたの人生を生きるのだ。
※協調性をなくすという意味ではありません。
他人への思い遣りや配慮をなくすという意味ではありません。
単に自分勝手に生きるという意味ではありません。
■ 死んだらそのとき ■
ミサイル飛んできたらそのとき。
死んだらそのとき。
精神的にも肉体的にも死んだような感覚は慣れたので、特に不安や怖さがない。
薬を沢山飲んで全身の神経が麻痺して動けなくなったり、内臓がぐちゃぐちゃになるような強いうつ状態。
死んだらそのときだ。
ムリして明るくて前向きな投稿ばかりする気もにゃい。
そういう投稿の方がウケが良いからとか、
人から良く思ってもらえるからとかは、
今の私にとっては重要じゃない。
私は自分のために書いている。
表現は癒し。
文章まで他人のことばかり気にして、自分を偽ってムリをするのはごめんだ。
私はそういうのにはもう心底疲れたから。
私にとって書くことは、自分の内面を吐き出せる安息の地なのだ。そこにまで制限や禁止を設けたくない。
「ネガティブな投稿をする人間は〜」などど批判する人も、私ほどに分かりやすい形のネガティブじゃないだけ。
一見ポジティブな人も、
攻撃的批判、攻撃的否定、
積極的批判、積極的否定
という形でネガティヴを表現していたりする。(私もね)
いつもネガティブとポジティブは共存している。
どちらも、いつも自分の中にあるもの。
どちらか一方だけが良いとか悪いとかではない。
どちらか一方だけを、ないものにしない。
どちらも、ある。どちらも、あっていい。
■ 外国から学びたいこと ■
私が海外に行ってみたい理由は、
外人の体感覚を学び、吸収したいから。
なんの体感覚かというと。
「他人がどうであるかを気にせず、
自分の素直な気持ちや意見を、ズバズバ主張できる感覚」や、
「どんな相手も『対等』である感覚」
のこと。
(「対等」な目線だからこそ、率直な感情表現、意思疎通ができるのだろうと推測しています。)
長ったらしいので簡潔に言うと、
「自己主張の強さ」
「上下関係のなさ」「対等さ」
「その背景の体感覚」
を学びたいということ。
その「体感覚」を知りたい、吸収したいということ。
もちろん、一口に「海外」といっても、
色んな国がある。
例えば、儒教を重んじる韓国は、
日本の感覚に近いところもおそらく多いんじゃないかと思う。
(ただ、上下関係は似ているけど、自己主張はハッキリしている国民性のように思うので、
日本ともまた違うような気がしている。)
例えば、アメリカなどの海外にも上下関係はあっても、
その「上下」の中身が違うんじゃないかなって。
「実力主義」なイメージがあるアメリカの「上下」は、
「年功序列・肩書き」が優先される日本の「上下」とは、
きっと全然違うんだろうなって。
言いたいことをハッキリ言い合える対等さと率直さがあるからこその、
「実力」「上下」のようなイメージ。
もちろん、アメリカや他の国にだって、
年功序列や肩書が優先されやすい場合もあるだろうし、
差別意識に基づいた上下関係などもあるだろう。
ただ、そういう細かい点は置いておいて、
海外の人の体感覚や想いを知って、吸収してみたいって思う。
なぜかって、やっぱり私は、
他人に直接面と向かって、
自分の率直で素直な意見や感情を表すのが、
とても苦手だから。それでストレスを溜めやすいから。
それと、無意味で無駄でしかない上下関係が嫌だから。
そうじゃない海外の人のあり方や姿勢が、
素敵だな羨ましいなと思うから。
だから、
対等に率直な意思疎通をするのが当然な外国の精神・文化を、
吸収したいなって。
率直な意思疎通ができる海外の人たちは、
さっぱりしているんだよね。
喜怒哀楽がストレートだから、潔いというか、なんというか。
私みたいにねちっこくないのよ。笑
でもそれは、
自己肯定感や自信、あり方に育ち方、育て方、
精神性、文化、歴史・・・などの根本的なところから違うからだと思う。
その、「体感覚」を知りたい吸収したい。
そのために、一度くらいは海外に行ってみたいと思っているのだ。
いつになるかは分からないけれど、
どうせなら1人で行けたらいいな。
対等で、率直だからこそ、
大変有益で中身のある人間関係や創造性が生まれると思う。
(かといってもちろん、何でも率直がいいとは限らない。
日本の謙虚や配慮や思い遣りの良さは、
何にも比べられない。
素晴らしいし、これからもずっと受け継いでいきたいもの。)
■ 女性にモテる男が、日本を動かす ■
セクハラやじの後に起きたことは何か。壮大にコケてわかった、東京都議会という「伏魔殿」
この記事の中で指摘されている「おじさん」たちは、たぶん女性にモテない。女性に優しくないから。
モテないということは、かっこよくないということ。
そんな男性が、国民の支持を得られるワケがない。
かっこいいおじさんが政治家なら、
若い人たちも興味を持つ。
かっこいい男が政治家なら、
若い人たちも応援する。
議会では女性に厳しくても、
プライベートでは性欲の行き場を失っているお偉いおじさんたち。
議会でモテる男になれば、
きっと公私ともに「ウハウハ」ですよ〜。
がんばって!
日本のおじさん☆日本の男性☆
女性に優しくてモテる人がこれからのリーダー!なはずっ!