Aiko's blog

今日も素敵なすてきな1日を*

■ 沁みるこころ ■

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つらいときに沁みる優しさ。あたたかさ。

だけどそれは、
日ごろから、私に対して真剣に真摯に向き合ってくれた人だからこそ。

 

私のことを無下に扱っていた人に、
弱っているときだけ優しい素振りを見せられても響かない。

 

そんなのはただの
「弱さにつけこんだコントロール
だから。

 

弱い人間だからこそ分かる。

 

弱っているときが一番、影響を与えられると。
だから弱っているときこそ、気をつけようと。

 

恋愛やビジネスもそう。

 

弱っているときに優しくすれば、
相手に入り込みやすい。

 

弱っているときにセールスをかければ、
商品を買わせやすい。

 

弱っているときに優しくされれば、
相手にひかれやすい。

 

弱っているときにセールスされれば、
商品を買いやすい。

 

弱い人間だからこそ、体感できる。

 

身に沁みる人の優しさとあたたかさ。

 

それは、
今まで私のことを大切に想って、大切にしてくれてきた人たちだからこそ沁みる。

 

もちろん、弱っているときは、
見知らぬ人やそんなに関わりがない人など、
いつもはあまり意識しないような対象も
改めて「ありがたい」と感じられる。

 

愛と優しさとあたたかさをありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

 

ちぎれそうな糸が今つながっていられるのは、
あなたの想いやりのおかげ。

1人1人の想いやりのおかげ。

 

本当に今の私は周りの素晴らしい方々のおかげで存在しています。

 

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■ 好きな人だからこそ嬉しい ■

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ミラーリング」という心理テクニックがある。

 

日常的に誰もが無意識にやっているし、
恋愛やビジネスで意図的に使う人も多いテクニック。

 

基本的で初歩的だけど、効果が十分あるから
よく使われている。

 

ただ、このテクニックを意識的に使う場合は
「適度」
で留めなければ、逆効果になるので注意。

 

小手先のテクニックなんてものは、
なんでも「適度」が大切。

 

究極、必要ない。

 

ミラーリングにしてもそう。

 

あまりしつこくやると、
確実に相手に引かれる。

 

好きな人だったら、
いくらでも嬉しい。

好きな人だから嬉しい。

 

だけど、好きな人じゃなければ
作為的なテクニックは逆効果にもなりやすい。

 

作為的、表面的なことより、
まっすぐな心が何より響く。

 

とはいえ、どんなにまっすぐでも、
相手が自分を好きになるとは限らない。

 

元も子もないことを言えば、
テクニックを使おうが使わまいが、
まっすぐだろうと歪んでいようと、

 

好きなもんは好きだし、
好きじゃないものは好きじゃない。

 

ただそれだけ。

 

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■ 弱い犬ほどよく吠える ■

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他人のことばかり強く批判したり、攻撃する人って、
弱い人たちなんだなーと実感するようになった。

 

弱い人をいじめるのは、弱い人。

 

強い人は、自分が強いのを十分知っているから、
誰かをいじめる必要がない。 

 

いじめないと気が済まないのは、
自分の弱さを認められないから。

 

誰かをいじめているうちは、
自分の弱さを見ずに済むから。

 

誰かをいじめていれば、
自分は強いんだと錯覚できるから。

 

弱い者をいじめることでしか、
強くいられない。 

 

誰かをいじめる人は、
自分よりも格上の人間には媚びへつらう。

 

いじめをする人間は、
自分より強い者をいじめようとは決してしない。

強い者のことは、いじめることができないから。

 

強い者をいじめようものなら、
今度は自分がいじめられる弱者になるから。

そんな弱い自分を認めたくないのだ。

 

自分がいじめる弱い他人と、
強い者にいじめられる弱い自分は、同じ。

 

・・・・・

 

他人に「弱い」と判断されやすい人は、
実は強かったりする。 

 

他人に「強い」と判断されやすい人は、
実は弱かったりする。

 

本質的には

 

みんな、強いし
みんな、弱い。

 

そう感じる。

 

表面の外ヅラを、

 

どう見せているか?
どう判断されるか?

 

の違いなんじゃないかな。 

 

・・・・・

 

わたくしは弱い人間ですから、
これからもキャンキャンと吠えますよ。

 

吠えたいときはね。

 

それにつられて、
周りの弱い方々もキャンキャン吠えてたりするのよね。笑

 

自覚症状ないけど。

 

(私も他人につられて吠えること多々。)

 

みんな自分は、強い大型犬だと思い込んでる。

あちらこちらで、キャンキャンキャンキャン。

 

ベッキー不倫→「キャンキャン!」
・西野さん絵本無料→「キャンキャン!」
・あの人が~なことしてる→「キャンキャン!」
・そんなことするのはダメだろ→「キャンキャン!」 

 

・・・うむ、みんな元気でいい。

 

だけど残念ながらわたしたちは、
海や空や大地の力で簡単になぎ倒されるようなちっぽけな存在なのだー。

 

よわい。よわすぎるぅ~。

 

今日もわたしは生きている。
今日もあなたは生きている。

 

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■「俺の言うことが聞けんなら出て行け!」■

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そう言った父は、おじいちゃんによく似ていた。

 

たばこのヤニの匂いが染み付いた家に住んでいたおじいちゃんは、典型的な亭主関白。

 

支配的ですぐ怒鳴る。

 

父が嫌いだった。

 

けれど私も、
父に似ていることに気づいた。

 

卑屈で言い訳がましいところとか、
よく似てる。

 

怒りは抑圧してきた。
自分が嫌な思いをしたからこそ、
他人には怒りをぶつけないようにしてきた。

 

表情に出さないように、
他人にぶつけないように。

 

その分、自分の内側で怒りが爆発していた。

 

怒りを外側に表せる人がとても羨ましかった。

 

私もガタイのいい男だったら、
ムカつくやつをボコボコにしてみたいなーなんてことも思う。

 

文章なら、感情をぶつけやすいんだけどな。

 

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■ お金が得られなくてもそれをやるか。つながりがなくてもそれをするか。■

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SNSやブログで情報発信するのは、
結局自分のため。

 

他人目線に立った記事も、
他人に役立つ情報も、

 

結局は発信者本人が、
お金やつながりを得るため。

 

お金が発生しなかったら、
今の情報発信を続ける人は減るだろう。

 

つながりが発生しなかったら、
今の情報発信を続ける人は激減するだろう。

 

どこかで自分が他人からお金をいただこうと思っているから、発信している。

 

あるいは、どこかで自分が他人から
共感や支持やつながりを得ようと思っているから、発信している。

 

お金やつながりが不要なら、
他人の目に触れる場所にはそもそも投稿などしない。
自分1人で日記にしたためていればいいから。

 

だけど、お金を得ようと思うのも、
つながりを得ようと思うのも、

何も悪くない。自然なこと。

 

ただ、人のためだけにやっている人なんていないんじゃないかなってこと。

 

ただ、そういうものだよねっていうこと。

 

私も誰かも。

 

私は、文章を書いて、
誰かに共感されたり、誰かの心に響いてもらえたりするときがとても嬉しい。

 

基本的に、自分が書きたいこと伝えたいことを書いているだけだけど。

 

たまに誰かに響くなら、それがラッキーなのだ。

 

お金は、自分が本気で望んだり、
そういう段階の自分になったときでいいかなぁとぼんやり思っている。

 

「そんなんじゃ一生…」などと言う人もいるだろうけど、
発言力の強い他人に従って、無理やり稼ごうとか行動しようとする方が、おかしな方向にいくから。

 

マイペースでいいのだ。
バカボンなのだ。 

 

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■「誰よりも自分のため」 ■

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「自分のことばっかり考えてるようでいて、自分のことについて考えまくったからこそ、

他人の同じ悩みを解決したり、ヒントになることが言える人であれ!!」 

 

「自分の書いたものでその人の悩みや不幸を供養できるならば、むしろ率先して周りの人よりも、自分が悩み、幸せになるナルシストであるべきだ。」

 

共感する。

 

私は自分のことばかり考えている。
そういう人間は批判されやすいし、自分も責めやすい。
「他人のことを考えられない人間は…」と。

 

だけど、自分と他人をあまりにも区別して、
他人にだけ一丁前に偉そうな態度をとる人間にはあまりなりたくない。

 

「オレは、私は、あなたと違って、
悩まないし失敗しないし欠点がなくて完璧で人生も上手くいっている。

 

そんなオレ様が私様が、
あなたにアドバイスしてあげるわ。」

 

自分と他人を区別しすぎると、
こんなニュアンスが感じられたりもする。

 

自分と他人の境目って、あいまい。

 

人の役に立ちたいとか、
人に喜ばれたいとか、
人に与えたいとか、

 

そういうことなんだろうな。 

 

あなたが嬉しいと、私が嬉しい。
私が嬉しいと、あなたが嬉しい。

 

あなたが嬉しいと私が悲しい場合、
どこかに歪みがあるのだろう。

 

私が嬉しいとあなたが悲しい場合、
どこかに歪みがあるのだろう。

 

私とあなた、同じようで違う。
だけど違うようで同じ。

 

なのかもね。

 

そんなことを、こちらのブログ

ブロガーたるもの、誰よりも幸せ・誰よりも最先端を目指すべきだ!! - かくいう私も青二才でね

を読んで思ったのでした。

 

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■「与える」のではなく、「自分がしたいから」 ■

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「人に与えることが、成功のヒケツです」
とよく聞く。

 

他人のことを考える人がうまくいく、
他人に与える人がうまくいく、と。

 

確かにそうだろう。
素敵な人は、みんな他人に与え上手。

 

だけど、私は違和感がある。

 

「与える」ってなんか、おこがましいなぁって。

 

特に、自分自身がその言葉を使うときにそう思う。

 

自分は、人様に「与える」ことができるほど偉いのか?
自分は、「人様に『与える』ことができるほど立派で優れた人間」なのか?

 

至らないところだらけの自分が、未熟者の自分が、
人様に「与える」と意識する状態は矛盾していないか?

 

自分で自分の行為を「与える」と表現することへの違和感。

 

周りの人たちを見ても、心から人のことを考えていている人って、
自分の想いや行為を「与える」という言葉では意識していないんだろうなぁって思うから。

 

ただ自分がやりたくてやっている感覚。
ただ自然にやっているだけの感覚。

 

与えるのが上手い人って、
そんなナチュラルさにあふれている。

 

しかし私は自分のことをぎこちないな、とよく思う。


いつも色んな余計なことを気にし過ぎて、
不自然だなと思う。

 

自分が誰かに何かを「与える」という発想には、疑問が浮かぶことが多い。

 

「自分が得をしたいから、他人に与える(フリをする)」
「自分が成功したいから、他人に与える(フリをする)」 

 

のでは本末転倒。

 

だけど、私自身もだれかも、
勘違いしやすいように思う。

 

「人のため」と言っておきながら、
ただの自分のエゴの押し付けになることは非常に多いから。 

 

人のためじゃなくて、
結局自分のためだよなぁって思うことも多いから。

 

もちろん、言葉通りそのまま「人のため」「相手のため」
だなぁと思うことも沢山ある。 

 

だけど私は、エゴが強いし、他人に押し付けやすいし、
他人のせいにもしやすい。

 

だから、私はあらゆることを
「自分のため」だと意識していたい。できるだけ。

 

ぜんぶ、自分のため。
ぜんぶ、自分がやりたいから。

 

とね。

 

・・・・・

 

なお、「与える」という言葉を使っている人全てが
偉そうに見えるワケじゃない。

 

誰かどう発しているのかや、
発信者と受信者の関係などで印象は全く違うから。

 

単に分かりやすく説明をするために、
「与える」という言葉を使っているに過ぎない場合も多々あるだろうし。

 

「他人を思い遣る」
「他人の想いや背景を聴こうとする」

 

などの表現は、ある意味ぼやっとしていて、
伝わりにくくもあるから。

 

一方、「与える」という言葉は、
とっても分かりやすくて、伝わりやすい。

 

また、
「この人は心から『他人に与えている人』だなぁ。」と自分が感じる人が
「与える」という言葉を使用していても、なんの違和感もない。

 

それに、多少ぎこちなくても、
エゴが強かったとしても、

「与える」ということを意識すること自体が、
素晴らしいから。

意識すれば、近づいていくという側面もあるし。

 

まずはそうして、
他人のことを考える、見ようとする、聴こうとする意識が大切なんだろうから。

 

「与える」というのは、ただの言葉であり、
一つの表現でしかないとも言えるから。

 

だから、この言葉を使っている人たちのことを、
すべて否定したいワケではないし、
悪いなどと言いたいワケでもありませんので、

ご理解いただければ嬉しいですん。

 

同じことをしても、
「与えられているかどうか?」は

相手がどう受け取るかによっても、
全然違うだろうし。

 

どんなに「良さそう」なことをしても、
相手にとって「良い」とは限らないから。

 

頭でそう理解したつもりでいても、
実際はそんな「自分の良さの押し付け」になってしまうことも多いなぁ。

 

自分のため。自分のため。
私のため。私がやりたいからなだけ。

 

文章を書いて投稿するのは、
私のため。自分のため。

 

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