Aiko's blog

今日も素敵なすてきな1日を*

■ コトバひとつ、単語ひとつで、壮大な物語が見えてくる。 ■

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本や小説が読める日は、私にとって調子が良い日。

 

中学生くらいまでは、本が好きでよく読んでいた。
だけどそれ以降は「楽しむための読書」からは、ずいぶん離れていた。

活字に対して、強烈な拒否感、抵抗感、嫌悪感しかない時期もあった。
本が好きなのに、読むことができないのは寂しかった。

 

今は、おかげさまで精神的にカナリ改善されてきたから、
気が向いたときだけ、ほんの少しずつだけれど、
本を再び読むことができるようになっている。

 

楽しむための、読書をね。

 

・・・・・

 

そして今日は、ありがたいことに、
読書デーとなった。

 

お相手は、笑いたっぷりのコミカルエッセイ。

 

わくわく。楽しんで読むぞう!

 

心の中で笑う準備を整え、
軽快なスタートを切った私の読書デー!

 

・・・のハズだったのだが。

 

読み始めて間もなく、
青函トンネル
という単語に出くわす。

 

どんなトンネルなのか気になって、
iphoneでいつものように検索する私。 

 

教えて!グーグルせんせーい。

 

芋づる式に、気になるキーワードを次から次へと引っ張り出す。
読んでいた本はそっちのけ。

 

青函トンネル

青函トンネルの歴史(世界一長い海底トンネル)

殉職者(工事中に亡くなった作業員の方)

インフラ建設の闇

JR福知山線事故

事故被害者のインタビュー

福知山は、京都府の北に位置する

 

「・・・うおお。。今私たちが乗っている電車のトンネルは、
たくさんの犠牲者の上に成り立っていたのか。。」

 

秒速で刺激される私の有能な涙腺。

 

「福知山って、私の住んでいる京都にある場所なんだ。。」

 

急にリアリティが増す。

 

コミカルなエッセイ本を読み始めたはずなのに、
いつの間にかシリアスで壮大な人生物語にたどり着いていた。 

 

読んでいた本の中では重要ではなかった、
たったひとつの
青函トンネル
という単語が気になってしまったために。

 

そこからいろんな歴史を知り、
私たちが当然のように今使っているもののありがたさを感じた。 

 

じんわりした想いを文章を書こうと思い立ち、
こうしてPCのキーボードをカタカタとたたいている。

 

気づけば、本自体は、たった2ページしか読んでいなかった。

 

しかし、結果的には
「とても充実した読書」
となった。

 

笑いの代わりに、深くて大きな愛を感じることができた。

 

読み始めて間もなく2ページ目で出逢った
ひとつのコトバ。

 

何気なく、使われていたコトバ。

 

当然のように毎日、使っている電車。

 

当然のように思っている、身の回りのあらゆる存在。

 

本と現実がつながった瞬間(とき)でした。

 

・・・・・

 

うむ、やっぱり生きているだけですごい!

おめでとー!

 

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■ 今いる環境を、どれだけ活かすか - 今日のじぶん、すごい!- ■

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自分のやりたいことや、好きなこと、興味のあることは、誰だって向上心がある。

 

だけど、
自分の願望とは「直接は関係ないもの」
については、
いい加減にしてしまいがち。

 

例えば、

今現在、「生活のため」にしている仕事の分野と、
将来、「自分が好きなこと」で仕事にしたい分野が、

 

直接は全く関係ない(ように思える)とき。

 

自分のやりたいこととは関係ないとか、
興味がないからといって、 

 

今現在の仕事をなあなあに済ませることは簡単。

目の前のことをテキトーにすることは簡単。

 

けれど、一見関係ないように思えることも、
全てつながっていたりする。

すべてが自分のために活きてくる。

 

偉そうに書いているけれど、
私は何も、できた人間の視点では書いていない。

 

未熟者の視点で、自分自身について書いている。

 

私は今の職場で、
本当にいろいろと学ばせていただいているから。

今の職場で、
すごく成長できる機会をいただいているから。

 

至らないところだらけな自分だけど、
ココで一つ一つを見つめていくことが、
今の自分にとって、とても大切なんだなぁって実感しているから。 

 

綺麗ごとなんかじゃなくて、
本心でそう思っているから。

 

それだけ、自分と向き合わせられているから。
今の職場で。
愛のある職場の方々のおかげで。

 

私にとっては、
今ココでやっていくことが、

未来の自分にとって大きな財産になるんだ。

 

今ココを活かすことが、
自分の財産になるんだ。

 

今ココを積み上げることが、
なりたい自分になっていくんだ。

 

そう素直に思えるのは、
私をあたたかく見守って受け入れて応援してくださる人たちのおかげ。

 

綺麗ごとじゃなくて、
心からそう思う。

 

・・・・・

 

ミスしたりヘマすると、
どうしても凹んだり引きずってしまいがち。

ネガティブで頭がいっぱいになりがち。

「やっぱり私はココにいない方がいいんだ・・・」
って思ってしまいがち。

 

だけど、それでも、
また明日お仕事に行ってみること。 

 

なんとか、また一日行ってみること。

 

ひとまず、また明日もお仕事に行ってみること。

ひとまず、また今日もお仕事に行ってみること。 

 

そうやって、まずは「もう一日」行ってみるということが、
私にとってはとてもとても大きな一歩だ。

 

今日も、家を出られて良かった。
今日も、お仕事に行けてよかった。

 

今日も、家を出られた私、すごい。
今日も、お仕事に行った私、すごい。

 

今日も、家を出たあなた、すごい。
今日も、お仕事に行ったあなた、すごい。

 

すごいぞ私。すごいぞあなた。

 

だけど、
家を出られなかった過去の私も、
どこかの誰かも、

生きているだけですごい。

 

そこで否定したって責めたって、
余計苦しくなるだけだから。

 

こうやって褒めたり承認するのを批判ばかりする人のことは、気にしなくていい。

 

自分の心に聴けばいい。

 

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■ 清濁合わせ持ってナンボ ■

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「良い状態」に固執すると苦しくなる。
「良い状態」を強制されると苦しくなる。 

 

「ポジティブ」に固執すると苦しくなる。
「ポジティブ」を強制されると苦しくなる。

 

ネガティブ=悪いという考え方でいると、
苦しくなる。

ポジティブ=良いという考え方でいると、
苦しくなる。

 

最近の私は、ネガティブになっても、
苦しいという感覚はあまりなくなっている。

 

ネガティブが悪いとは限らないと思っているから。
ポジティブが良いとは限らないと思っているから。

 

無理やりポジティブになろうとか、
無理やり良い状態になろうと思っていないから。

 

そのままの自分の感情や状態を受け入れよう、
と意識するようになったから。

 

ネガティブは、自分の本音や本心を教えてくれるものだと思っているから。
ネガティブは、自分が求めているものが何か?を教えてくれるものだと思っているから。

 

ネガティブは、自分が望む道を教えてくれるものだと思っているから。
ネガティブは、もっと良くなるためのヒントだと思っているから。

 

ネガティブは、ポジティブの裏返しだと思っているから。

 

どんな感情や状態も、

 

「あー、今わたしはこう思っているんだなぁ。こう感じているんだなぁ。」 

 

と自分で受け入れられるようになってきたから。

 

その感情や状態を、
自分自身で「良い/悪い」とジャッジしないようになってきたから。

 

「悪い」と思ったとしても、
それさえも受け入れて感じることができるようになってきたから。

 

・・・・・

 

ポジティブ(と誰かに判断される状態)に固執すると、
ネガティブ(と誰かに判断される状態)な自分を全否定する感覚になって苦しい。

 

良い状態(と誰かに判断される状態)に固執すると、
悪い状態(と誰かに判断される状態)の自分を全否定する感覚になって苦しい。

 

(誰かとは、他人でもあり自分でもある。)

 

これだけが良いとか、これだけが悪いという限定的な思考で居ると、とても苦しくなる。

 

なぜなら、どちらも持っているから。

 

境界線はあいまいだから。

 

そんな自分を受け入れた今の私は、
とっても生きやすい。

 

他人や自分の「良い/悪い」という判断基準を、
一度とっぱらってみるのはいいかもしれない。

 

もちろん、それだって良いか悪いかなんて分からない。

 

ただ私は、清濁どちらの自分も受け入れられるようになってから、生きやすくなった。

 

どんな自分も受け入れようと意識するようになったから。

 

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■ 他人に言うことは、自分にも当てはまる ■

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ぜんぶ自分 。

 

あの人、この人、その人。
わたし、あなた。

 

ぜんぶ、自分のこと。


そう思って、見たり聞いたり、言ったり書いたり、感じたりしよう。したい。できるだけ。

 

私は頑固だから、言うは易く行うは難しなのだ☆

 

かといって「そうだよキミは頑固だからね!まったく!」と思う人は、自分の頑固さに気づいていないのかもしれない。

 

・・・・・

 

 他人に言うことは、自分にも当てはまる。

 

それを忘れると、
人は他人のせいにばかりする。

 

他人の欠点ばかり指摘するようになる。
自分自身の欠点はまるで何もないかのようにして。

 

「あなたのココが悪い」
「お前がダメなんだよ」

と。

 

じゃぁ自分はどうなんだ?

 

という視点がすっぽ抜けていることは多い。

 

また、

「屁理屈を言うな」
「揚げ足を取るな」

という反論は、
どんなときにも使える。

 

自分の都合が悪くなったときに
その反論をすれば、
自分の非を認めずに済む。

 

あなたが悪い。
お前が悪い。

 

相手が悪い。
相手がおかしい。


相手のただの屁理屈。
相手のただの揚げ足とり。

 

自分には一切、
非はない。

 

自分には一切、
当てはまることはない。

 

そういう姿勢が1番どうしようもない。

 

だけど、私自身はもちろん、
あの人や誰かだって、
そういう状態に陥ることがなんと多いことか。

 

気づけたり、
認められるなら、

まだ未来は開ける。

 

自戒を込めて。

 

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■ 本人はネガティブじゃないのに、他人が勝手に「あなたはネガティブだ」と決めつける現象 ■

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そういうのはよくあること。

 

例えば、私が
「私を粗末に扱う人間は嫌い」
という発信をしたとき。

 

その発信を見て、

 

「あ、ネガティブな視点が強いな。
他人の悪いところばかり見ているな。
ネガティブな悪い状態になってるんだろうな。」

 

と決めつける他人もいるかもしれない。

 

だけど、実際の本人は、全然悪い状態ではなかったりする。

 

本人には本人の想いや目的があって、
意識的にそういう発信をしていたりする。

 

それなのに、

「こいつはネガティブで悪い状態になっているに違いない。」

と他人に決めつけられると、

 

「んー、なんか全然違うんだけどなー。。」

とモヤっとした気持ちと寂しい気持ちを感じる。

 

・・・・・

 

「決めつけ」ってよく起こる現象。

 

私自身もしょっちゅう他人のこと決めつけている。

 

「この人はきっと~に違いない」
なんて。

 

それはある意味、自然なことでもある。

 

だって、本人の真相や真意なんて、
言わなければ他人には分からない。

 

言ったとしても、他人には分からなかったりする。

 

前回投稿した、
■ 「見えないもの」を見ようとする姿勢 ■
という記事にも書いたように。

 

私たちの「見えているもの」は、
「省略」された状態のものだったりするから。

 

だから、私も他人も分からなくて当然。
決めつけだって、私も他人も日常茶飯事。

 

だけど同時に、
決めつけることは危険。

 

「こいつは~だろう。」
「こいつは~に違いない。」

 

そうやって、無意識に決めつけ、押し付けている私たち。

 

ほんの少し、その人の表面上「見える部分」だけをかじっただけなのに。

 

実は、その人の真意や想いなんて、
全然確認すらしてなかったりするのに。

 

なのに、私たちは、すぐに決めつけてしまう。

 

そして、自分の主張が絶対正しいと言わんばかりの態度をとってしまう。

 

私も、あなたも。

 

誰かに何かを教える立場の人って、特に、
その決めつけに敏感にならないと、

 

正しい良いことをしているつもりが、
実は正反対の暴力になってしまうことは往々にして、ある。

 

もちろん、自戒を込めて。

 

・・・・・

 

結果を出していたり、人に支持されている人が

「~な人間はダメだ!嫌いだ。」

と発信するのと、

 

他人からみて上手くいっていないと決めつけられやすい人が

「~な人間はダメだ!嫌いだ。」

と発信するのって、

 

実は、何も変わりがなかったりする。

 

だけど、私たちは、

 

偉い人が言っていると
「教訓」「学び」
と捉え、

 

偉くないと自分が無意識に決めつけている人が言っていると
「愚痴」「ネガティブ」
などと判断する。 

 

ぶっちゃけ、どちらも同じだったりするのに。

 

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■ 「見えないもの」を見ようとする姿勢 ■

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何かを主張すれば、
何かを否定することになることは多い。 

 

けれど、実際には、
様々な背景や条件や環境によって、

 

主張の中身は、

 

枝分かれするもの。
変化するもの。

 

だけど、
限られた時間やスペースの中では、
いちいち細かなことなど説明していられない。

 

だから、
人に何かを伝えたり、
自分の想いを言葉やカタチに具現化するときは、

 

「凝縮」された状態
「短縮」された状態
「省略」された状態
「要約」された状態

 

になることがほとんど。

 

だけど、
他人からは

何がその奥に凝縮されているかなんて、
分からないことの方が多い。

 

見えないところに、

どんな背景があるか
どんな省略があるか

 

なんて、他人には分からない。

 

説明しなければ、
細かいところや、現実に即した想いは
伝わらないことの方が多いのだ。

 

説明したって、
本人の想いが100%伝わるかどうかは
分からないけれど、

説明しないよりは遥かに伝わる可能性が高い。

 

だけど、
毎回細かなところまで説明するなんて、面倒。 

 

だから、分かりやすいカタチになったものだけ
伝えることが多い。

 

他人は往々にして

 

分かりやすい部分
目に見える部分

 

しか捉えない、捉えられない。

それが当然。

 

しかし、それゆえに、
私たちは自分のことを誤解されたり、
他人のことを誤解するのだ。

そして、もどかしさを抱える。

 

けれど、
ここにきて、

この文章を書くのに疲れて面倒になってきた私は思う。
(支離滅裂なのはいつものこと。)

 

伝わる人に、
伝わればいい。

 

と。

 

けれど、

伝わってほしい人に
伝えることを簡単には諦めたくない。 

 

伝わることを願いながら、
伝えることを継続していきたい。私は。

 

その上で、
伝わる人に伝わればそれでいい。

 

数は少なくても、
見えない部分まで分かってくれる人が1人でもいてくれたら、とても心強い。

 

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■ オムライス食べるなら、あなたと友達でいられない?! ■

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外国を知ると、価値観が壊れる。いとも簡単に。
自分の狭い狭い凝り固まった価値観が。

 

それも中途半端じゃなく、
「世界崩壊」レベルの衝撃を受ける。 

 

強烈な印象なのだ。

明らかに違う、と分かるから。

 

例えば

 

「人と違っていい、人と違うのは当たり前。
自分の正直な意見を主張するのは当たり前。
違っても嫌いにならないし、変にも思わない。」 

 

という「体感覚」が、
外国の人からは伝わってくるのだ。

 

「違ってもいい」という価値観を、
自分と同じ日本人が、努力して身につけた状態とは比べ物にならない。

 

生まれながらにして、
「自分の正直な意見を主張するのは当然」
という価値観が、

 

全身の細胞に染み込んでいるのだ。

 

そんな異文化の体感覚にハッとさせられた今日。
たまたま見つけたYouTubeの動画で。

 

 「外国人に聞いてみた」日本人の女性はCoolになるべき? - YouTube

 

最近読んだ『無愛想のススメ』という本の内容にも通じるなぁと思いました。

 

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