Aiko's blog

今日も素敵なすてきな1日を*

■ 黙れバカっ!- 自分の発言に、縛られない。- ■

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他人の言葉に縛られたくない。
誰かのルールに縛られたくない。

 

自分の言葉にも縛られたくない。
自分のルールにも縛られたくない。

 

過去の発言に縛られたくない。

 

「○○さんが、こう言っていたから・・・(違う意見なんて言えない。。)」

 

「あのときは、こう言ったから・・・(だから反対のことなんて言えない。。)」

 

「この間、自分でああ言ったから・・・(それを平気で破ると、誰かに「言ってることが違うじゃないか!」と批判されそう。。)」

 

・・・そうやって縛られたくない。


他人の発言にも、自分自身の発言にも。

だから、自分自身の言葉やルールにも、
縛られず生きたい。

 

以前の「陰と陽」の投稿にも書いたように、
どちらか片方だけの人間なんていないと思うから。

 

生まれてから死ぬまで一生、
隅から隅まで同じ考えや思いの人間なんていないから。

 

そんな人いたら、そうとう我慢している人だと思う。
いやーん。がまーん。

 

矛盾だらけでいいのだきっと。
他人に「言ってることが違う」って指摘されても、
気にせず今の自分の想いを見つめていきたい。

 

むしろ、一見矛盾だらけなように見えるけれど、
どれも一理あるなって主張をしていきたい。

 

「なにそれ!言ってること違うじゃん!
でも確かにそれも一理ある!」

 

という視点を自分で沢山持てると、
視野が広くなりそう。柔軟になれそう。

 

他人はもちろん、自分の無意識の「制限」もどんどん破っていきましょー。

 

・・・・・

 

自分や誰かを守りたいとき、
言われっぱなしじゃ嫌なとき、
とにかく何か言いたいとき、

 

いざとなったら

「黙れバカッ!」

って言えるような自分でいよーっと。

 

そんで「人をバカにする人間は嫌いって言ってたじゃないか!」と指摘されたら、

 

「そうだバカ!言ってたよバカ!でも今は言いたいんだバカ!」

 

って素直に(?)認めよう〜♪笑

 

もはやバカが語尾になってるだバカ。
そうだバカ!

 

・・・・・

 

私は、いつも反発心が強い。
なぜなら、いつも抑えてきたから。
本音を殺してきたから。

「あれはダメ」「これはダメ」「どれもダメ」ってね。

 

その分、心の中で無視されて溜めこんできた「本音」が
強い反発心となって、いつも私の内側の壁を破ろうとする。

 

そして「本音の自分でも大丈夫」だと思える場所では、
抑えてきたものが見事爆発する。

 

自分の感情を抑えがちな人って、
10代のころに反抗期がなかった人も多いんじゃないかなって思う。

 

私もなかった。
ただし、目に見えるカタチでは、という意味で。

 

外側は、いつもニコニコ。
「愛ちゃんは、いつも笑顔だね^^」と言われたことに誇りを持っていた。

 

だけどホントは違った。
外に出せなかった分、
心の中ではいつでも反抗期。

 

外に出さないよう必死で押し殺していた分、
心の中では火山が大爆発。止まらない活火山。マグマ。

 

ぶくぶく。。バーン!

 

だけどそれは、あくまで自分の内側での爆発。

内側にとどまっていられない本音エネルギー。


それが、反発心となって外に顔を現す。

大人になった今でも、止まらない。

 

私にとって書くことは、
エネルギーの爆発だ。

 

エネルギーの解放だ。

 

自分のために、書いている。バカ。

 

好きなことって、そういうものなのかもしれない。バカ。

 

爆発しすぎて不快な人がいたら、ごめんなさい。
読まないように気を付けてくださいませ。

 

脳内消火活動よろしくお願いいたします。バk…

 

終わり。何書いてるのか分からなくなった。
B・A・K・A☆

 

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■ 滲み出る「その人の人間性」■

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その発信が、公であれプライベートであれ、
その人を表していることには違いない。

 

ちょっとしたときに現れる
「人を見下す姿勢」「人をバカにする言葉」。トゲトゲした雰囲気。

 

そういうのが所々に、垣間見える。

 

一般人だろうと、成功者と言われる人だろうと、それは滲み出てくる。

 

もちろん、私自身もそう。

 

昔の私は特に、
人をバカにしたり見下す姿勢が強かった。
ふとしたときに姿を現わしていた。

 

すごく生きにくかったなーと思う。 

 

・・・・・

 

そして逆に、

 

「人をバカにせず、見下さず、
対等で穏やかな姿勢」

 

が滲み出ている人もいる。

 

あえて名前を出すとしたら、
例えば本田健さん。

 

本田健さんのポッドキャストをよく聴いているのだけど、
どの放送を聴いても、それは滲み出ている。

 

「この人は、人をバカにしていない。見下していない。

 

成功していない人のことも、一般人のことも、
人生に悩んだり苦しんでいる人のことも、
見下していない。

 

いつも、どんな人に対しても、
尊重する気持ちをもって対等な目線で接してくれている。

 

そして、いつも自分自身や身の回りのことを、省みている。」

 

そういうあり方が、滲み出ているのだ。
どの放送を聴いても、その姿勢は一貫している。 


「ふとしたときに、誰かを強くバカにしたり見下したり批判する顔が垣間見える」ということもない。

 

すごい人だなぁと思う。

 

そして、私もそんな人間でありたいなって思う。

 

・・・・・

 

私が尊敬する人は、

 

成功しているのに、結果を出しているのに、
誰かのことをバカにも見下しもしていない人。 

 

成功しているのに、結果を出しているのに、
どんな人も尊重する気持ちがある人。どんな人とも対等に接する人。

 

成功しているのに、結果を出しているのに、
いつも自分自身のことを省みることができる人。

 

そして、もう一つ。

 

世間的な成功もしていないけど、結果も出していないけど、

ただひたすら素直で純粋な人。

 

成功してなくても結果出してなくても、

 

人を見下すことなく、
純粋な優しさと柔らかさと愛を持っている人。

 

そういう人たちを私は尊敬する。

 

私は人をさんざん見下したりバカにしたり、
トゲトゲした心を持ってきたから。

 

自分と同じような他人を見て、
嫌だなぁと思ってきたから。

 

そうじゃない人を見て、
すごいな素敵な人だなって思うのだ。

 

そうじゃない人を見て、
私もそういう人間でありたいなって思うのだ。

 

完璧になんてできなくていいから、
少しずつできるようになったらいいな。☆

 

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■ ココ、テストに出まぁ〜す! ■

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「お前は、しょうもない人間だ。」
=
「オレが、しょうもない人間だ。」 

 

「お前は、バカだ。」
=
「オレが、バカだ。」

 

お前=オレ

 

・・・・・

 

「あなたは、しょうもない人間だ。」
=
「私が、しょうもない人間だ。」 

 

「あなたは、バカだ。」
=
「私が、バカだ。」

 

あなた=私

 

・・・・・

 

お前=あなた

オレ=私

お前=私

あなた=オレ

私=オレ

オレ=私

お前=オレ

あなた=私

 

・・・・・

 

テストに出るので、
よぉ〜く覚えておくようにっ。

 

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■ 「○○さん(影響力のある人)を尊敬しています!!」から卒業して、自分の本音を優先させよう。 ■

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Facebookで影響力がある人の「シェア」ばかりしている人
・「○○さん」(尊敬する人や、影響力のある人物)の登場回数が頻繁な人

 

以上に当てはまる人は、 

他人の価値観に振り回されている可能性が高い。

 

自分の本音よりも、

 

その尊敬している○○さん、影響力のある○○さんの主張

 

にガッツリ振り回されている可能性が高い。

 

もちろん、自分の軸をしっかり持った上で、
他人のシェアをしたり、他人の名前を出している人も沢山いるだろう。

 

私が今回切り込んでいるのは、そうではない人。

 

「○○さん」の存在、「○○さん」の思想を、
あたかも自分だと思い込んでいる人。

 

「私の/僕の信念は、コレだ!」
と言いながら、その中身は、

 

「○○さんがそう言っていたから!」
「○○さんはすごいから!」
だったりする。

 

・・・・・

 

過去の私がそうだった。

 

尊敬する人やすごいと信じて疑わない人の投稿には、
秒速で「いいね!」を押していた。全ての投稿に。

 

「シェアしてね」と書いてあったら、
秒速で「シェア」していた。

 

「紹介してね」と書いてあったら、
秒速で紹介していた。 

 

結果、私のFacebookタイムラインは、

すごい(と思っている)人のシェア投稿

で埋まっていた。

 

「○○さん」という固有名詞の登場回数、多すぎた。
「○○さん」へのタグ付け、多すぎた。
「○○さん」の紹介、多すぎた。

 

「○○さん」の奴隷だった。

 

そんな過去の私に言いたい。

 

そんな君のオススメする
「○○さん」なんて、全然興味惹かれないぞっ。

 

そんな君がゴリ押しする
「他人から借りた価値観」
になんて、全然共感しないぞうっ。

 

「○○さん」はもういいからさ、
あなたの想いを大事にしなよっ! 

 

「○○さん」は置いておいてさ、
あなたの本音を教えてよっ!

 

あなたは、
「○○さん」の威を借りているだけだよっ!

 

「○○さん」の名前を出せば、
自分が強くなったように錯覚できるからね。

 

「○○さん」の名前を出せば、
まるで自分がその人と同じような影響力をもったかのように錯覚できるからね。

 

「○○さん」の力を、
自分も持っているかのように錯覚できる。

 

「○○さん」の力を自分も持っているんだと、
他人に示せていると錯覚できる。

 

「○○さん」と関わりのある私。
「○○さん」と関わりのあるオレ。

 

「○○さん」を尊敬している私。
「○○さん」を尊敬しているオレ。

 

「○○さんは素晴らしい!」 

 

「○○さん」がすごいのは素晴らしいのは分かったわ。うん。

 

だから、もう「○○さん」を卒業しよう。

 

あなたの想いを大事にしよう。

 

誰の威も借りないで、
等身大の自分で表現している人は、 

 

とっても魅力的だ。

 

それは、○○さんと比べてしまえば、
とっても小さく感じてしまうだろう。

 

けれど、○○さんの威を借りていたときのあなたより、
比べ物にならないくらい輝いている。 

 

そんな等身大のあなたが素敵。

 

・・・・・

 

冒頭で注意書きをしたように、
自分の軸をしっかり持った上で、
他人のシェアをしたり、他人の名前を出している人ももちろん沢山いると思う。

 

だけど、昔の私のように、
自分以外の誰かに無意識に振り回されている人も多いんじゃないかなって思う。

 

私は、自分以外の他人を盲信しやすい。
依存しやすい。

自分の想いを置いてけぼりにしやすい。 

 

他の誰かすごい人、尊敬する人たちの言っていることが、絶対的な正解なんだと思い込んでいた。

 

そして自分の想いをないものにしていた。
自分の思っていることは間違いだって。
自分の感覚はおかしいんだって。

 

とても苦しかった。
もがいて全てを手放すしかなくなったとき、
その状態から脱出できた。

 

自分の正解は、自分の中にあるんだと気づきはじめた。
自分の本心こそに、自分の想いの中にこそ、
自分の答えがあるんだって実感するようになった。

 

そうして、自分の想いを大事にすることを意識し始めた。
すると、どんどん心が解放されていった。
心の重荷がどんどん減っていった。

 

生きるのが前よりとても楽になった。

 

そうか、自分以外の誰かじゃないんだ。

 

よし、自分を大事にしよう。
自分の想いを大事にしよう。

 

○○さんとかすごい人とか尊敬する人も関係ないんだ。

 

そうやって強く意識しはじめた。

 

だから今の私は、
Facebookの投稿では、極力他人の名前を出さないようにしている。

 

シェアだって、本当に自分がいいなと思ったものかつ、自分のタイムラインにも載せたいと思ったものだけにすることを意識している。

 

できるだけ、他人の威を借りないように。
できるだけ、影響力ある人の発言や価値観に、振り回されないように。
できるだけ、すごい人や他人の価値観を、盲信しないように。

 

できるだけ、自分の想いに集中。
できるだけ、自分の想いに忠実に。

 

もちろん、自分の想いというのは、
大なり小なり必ず、他人の影響を受けている。

 

だけど、その想いが、
自分の本心にしっくりきているかどうかが大事ってこと。

 

違和感があるかどうか。
本音かどうか。

 

だから、結果的に誰かの影響を受けた想いだったとしても何も問題はない。

 

自分の気持ちや感覚がどうであるかが大事だから。

 

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■ 「絶対的な味方」に出逢えば、好き放題に生きられる。 ■

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ついつい、自分の気持ちを抑えてしまう人は、
他人に嫌われることを恐れている。

 

他人に嫌われることを、過剰に恐れている。

 

誰か1人にでも嫌われてしまったら、一巻の終わりだと思っている。
「私の人生、オワタ。」と思ってしまう。

 

なぜそんなに恐れるのか? 

 

それは、「自分には絶対的な味方がいない」と思い込んでいるから。
言い換えると、「自信がない」ということでもある。

 

自分自身が自分の絶対的な味方でいてあげられない。
誰か1人でも、自分以外の他に絶対的な味方もいない。

 

自分も他人も、味方じゃない世界。
誰一人として、自分の味方がいない世界。

 

自分ですら、自分自身の味方になってあげられない。

 

そういう世界に生きてしまっている人は、
ひたすら人に嫌われないように振る舞うしかなくなる。

ひたすら愛想笑いをして、ひたすら自分の感情を抑え込む。


そうしていれば、嫌われないから。

嫌われなければ、自分の存在は受け入れてもらえるから。
嫌われなければ、自分は存在していいんだと思えるから。

 

本当の味方などいない(と思い込んでいる)人間にとって、
嫌われるということは、「死」を意味する。

 

だって、味方がいない(と思い込んでいる)から。

 

味方がいない世界で、誰か1人にでも嫌われてしまうということは、
絶望的な出来事なのだ。

 

ただでさえ味方がいない。自信がない。
自分はココに存在していいと思えない。

 

そこに、「あなた嫌い」という他人が発生すると、
いよいよ追い打ちをかけるのだ。

 

「お前はもう終わりだ」
「お前はもう存在するな」

 

と死刑宣告を受けているように感じるから。

 

嫌われてしまうと、どこを頼りに生きていればいいのか分からない。
嫌われると、もう自分はどこに存在すればいいのか分からなくなる。

 

だって、味方がいない(と思い込んでいる)から。

 

嫌われても、味方がいれば生きていける。

 

「嫌う人がいたって、どんなときだって、どんなあなただって、
私はあなたの味方だよ。」

 

という存在こそが、生きる力になるから。
生きる光だから。

 

だけど、そんな存在がいないと思い込んでいるときは、
必死に愛想よく振る舞って、他人に気に入られる自分でいることでしか、
自分を保つことができない。

 

他人に嫌われていなければ、他人に気に入られれば、
自分は存在していいと思えるから。


それ以外に、自分の存在を許可できるものがないと思っているから。
そうすることでしか、自分の存在を肯定することができないから。

 

・・・・・

 

前回の投稿でも少し紹介した
『無愛想のススメ』
という本。

 

「なんか良さそうだな~」と軽い気持ちで手に取った。
自己啓発本とかメンタル系の本は、よく目にしてきたから、
正直そんなに期待はしていなかった。

 

けれど、予想外な結果になった。
予想外すぎる。自分でも驚いている。

 

『無愛想になる』というテーマが、この本の内容が、
あまりにも自分の抑え込んできた感情を呼び覚ましたから。

 

『嫌われる勇気』を読んだときは、こんな風に自分の感情が湧きあがることはなかった。
もちろん、面白かったし興味深い内容だった。
この本にはこの本で、素晴らしい役割がある。

 

けれど、私が必要としていたのは、知識じゃない。

 

自分の奥底に眠っているもの、抑え込み過ぎて感じることができなくなっていたもの。
見えなくなっていたもの。

そういうものを、呼び覚まし、感じること。気づくこと。

 

それが、私の求めていたことだった。

 

きっと、求めている人は他にも沢山いるはず。

 

・・・・・

 

自分を抑えて抑えて抑えて。
自分を殺して殺して。

 

行き場をなくした強い感情は、
どんどん、どんどん、自分の奥底に詰め込んでいった。

 

ぎゅ~~~~~っと。
いつの間にか、莫大な量になってギュウギュウに詰め込まれた感情たちは、
ついに破裂しそうになる。

 

他人や自分への「強い殺意」となるのだ。
そして「強い怒り」となるのだ。

 

塊になった強大な負のエネルギー。
それはもう、どこかに吐くことができる代物ではなくなる。
吐いてしまうと、誰かを不快にさせたり傷つける。

 

ますます、行き場をなくす感情。

 

どこにも行き場をなくした感情は、
とにかく「自分一人で処理しようとする」か「無理やりなかったものにしようとする」。

 

そうして全てが、自分の内側にある、狭い狭い押入れに押し込められていく。

 

そうして自分の気持ちがどんどん分からなくなっていく。

 

・・・・・

 

そんなときに、自分以外の存在によって、
抑え込んでいた感情が解き放たれる。

 

自分以外の存在とは、今回の私のように、気軽に手に取った本かもしれない。
そして、自分以外の「人」の存在でもあるだろう。

 

・・・・・

 

「自分の絶対的な味方」。

 

それは、他人でもあり、自分でもある。
そんな存在と出逢い、そんな存在に気づくこと。
そんな存在に包まれること。

 

そんな存在が、世界にはいるのだ。

 

外に出ていけば、きっとどこかに自分の味方はいる。

 

絶対的な味方に出逢った今の私は、
昔の私よりはるかにイキイキしてる。

 

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■ 無愛想のススメ(恋愛) ■  

 

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愛想がよすぎると、
好きでもない男性から

 

「オレでもいけるんじゃないか?」

 

と勘違いされるから無愛想になるときも必要。

 

自分のことを安く見られた状態で、
勘違いされたままの状態で、

 

「オレは魅力的だぜ」アピールをされても何も響かないばかりか、完全に逆効果。

 

無愛想になれば、
そういう人たちを寄せ付けないので快適。

 

人として好きな人はたくさんいる。
だからといって、男の人として好きとは限らない。

 

「じゃぁ男として好きにさせよう」などとテクニックを使ってしまうと、どんどん遠くなる。

 

・・・・・

 

自然体が一番なので、必要ないとこで無愛想になる必要もない。 

 

自然体でいれば、他人からは、愛想よく見えるときもあるし、無愛想に見えるときもある。

 

昨日『無愛想のススメ』という本を買って読み進めているんだけど、私にとっては色々思うことがカナリ多いテーマだ。

 

『嫌われる勇気』は哲学書寄りな印象だけど、
いま読んでる『無愛想のススメ』は、もっと私たち一人一人にとって身近に感じることができる内容。

 

久々に自分の過去や抑え込んでいた感情とガッツリ向き合わさせられる。

 

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■ 喜んで聞き入れられるアドバイスとは? ■

 

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(※あくまで数ある中の一つの意見です。どの投稿も、どの主張も。正解や答えは人によって違うし、そのときによっても全然違う。全ての意見や主張は、参考とか一例に過ぎないのだと思う。)

 

ズバリ、相手(自分)に対して、「配慮」があるかどうかだ。
相手(自分)に対して、「敬意」があるかどうかだ。

相手(自分)が喜んで聞き入れたくなるアドバイスって、そういうものだ。

 

自分が、相手の立場なら、どんなアドバイスや言葉を聞き入れたいか?
考えれば簡単だ。

 

逆に、意地でも聞き入れたくないアドバイスとか言葉というのは、

 

相手(自分)に対して、「配慮」がないもの。
相手(自分)に対して、「敬意」がないもの。

 

当たり前だよね。

 

一方的に、他人から
「あなたは間違っている。あなたのココがダメだ。今すぐ直せ。」
と言われていい気分になる人はいない。

 

一方的に、他人の視点だけを押し付けられて否定されても、
聞く気にならない。 

 

どんなに悪く思えるような相手にだって、
相手には相手の事情や背景がある。

 

思わず聞き入れてしまうような言葉とか、
喜んで聞き入れたくなるアドバイスって、 

 

そういう「自分の意見や事情や背景を、
気遣ってくれているんだな」って相手に伝わるものだ。

 

「あ、ちゃんと私がやっていることを認めてくれているんだな。
私の気持ちや背景も、ちゃんと見てくれているんだな。

この人は、私を全否定しているワケじゃないんだな。
私の意見も汲み取ってくれようとしているんだな。

その上で、『もっとこうしたら良くなる』ってことを伝えてくれているんだな。」

 

って相手に伝わるもの。

 

そういうアドバイスや注意は、喜んで取り入れたくなる。

 

・・・・・

 

私の職場の先輩や上司の方々は、いつも私のような下っ端アルバイトにも、
愛のある接し方をしてくださる。たとえ、失敗したり迷惑をかけても、だ。

 

いつも「ありがとう」を口癖にされている。
ちょっとしたことでもスタッフに、「ありがとう」と言って下さる。
「ありがとう。」「いつもありがとう。」が口癖。
「中野さんはこういうところが良いね。」と相手の良いところを見てくださっている。
どのスタッフにも、どのお客様にも、そういう丁寧で心のある姿勢。

 

当然、私はその先輩や上司を信頼している。
日々のコミュニケーションの在り方で、信頼関係が構築されているのだ。

 

だから、そういう人からは、
厳しい注意をされたとしても、きちんと受け入れられる。

 

責めているんじゃないっていうのが、きちんと伝わるから。
いつも、愛を根底に伝えて下さっているのが、きちんと伝わるから。
私のことを理解してくださっているのが、きちんと伝わるから。

 

だから、注意やアドバイスを受け入れられる。

 

・・・・・

 

私は今、飲食店で働いているのだけど、
お客様からのクレームというのはときどき耳にする。

 

そのクレームというのだって、やはり違いがある。

 

私たちは、お店のスタッフだから、
クレームを言われる立場。

 

そこで思うのはやはり、
お店側やスタッフ側に対して、愛や配慮があるクレームかどうか?
で受ける印象がカナリ違うな~ということ。

お客様の言い方や態度によって、全然印象が違う。

 

「おたくのお店は大好きなの。だからこそ、~な点は少し残念だったわ。」
「スタッフの人もみんな忙しいタイミングなのは分かるけれど、もう少し~してくれたら嬉しかったな。」

 

などと、穏やかな姿勢で、こちら側にも愛や配慮や敬意をもって伝えていただくと、
むしろ「伝えてくださってありがとうございます。」「よし、これからは~なときは気をつけよう。」と素直に思える。

 

逆に、「オレは客やぞ!オレの言うことを聞け!お前の店は間違っている!オレが絶対正しい!」というような姿勢でなにか言われるときは、
けっこう理不尽で、自分本位な要望なことが多い。

 

もし筋の通った内容だったとしても、そういう態度で言われたことって、
誰だって素直に聞き入れたいとは思えない。

 

当たり前といえば当たり前の話だけど。

 

・・・・・

 

どんな相手にも、相手なりの事情や立場や意見や想いといったものがある。
どんなに悪人のように見えるひとでも。

 

もちろん、私たちは聖人君主じゃないから、
いつもどんなときも、どんな人に対しても、思いやりをもつとか、
相手を受け入れようとするのは実際難しいっていう場合もたくさんあると思う。

 

私なんてもうさ、まだまだ他人や自分に対して否定批判だらけだし。笑

 

けれど、ほんの少しでも相手を見ようとか、相手を認めようと意識できたら、
ほんの少しでも相手との関係は改善されると私は思うんだ。

 

・・・・・

 

あとは、他人に何か頼んだり、要望を伝えるときは、

 

自分のプライドをゼロにした状態で、
徹底的に相手の良いところを認めれば、

案外コロッと聞いてくれたりする場合もあると思う。

 

頑固で人の言うこと中々聞き入れようとしない人、プライド高くて融通が利かない人ほど、
案外そういう態度で接するとコロッと聞いてくれたりするから。笑

 

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